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現代文 高校生

至急!!明日提出です。 現代文です。 問5の問題頑張って解こうとしたのですがわかりません。 教えていただいけると幸いです。

業 作 われわれは環境につよく支配されている。 どんなに出家的状況をつくろうとしても、そこで考えるのに使う 言葉そのものが、考えてみれば、環境の一種である。かりに家も職も投げうって本当の出家をしたとしても、 言葉はかんたんに棄てられない。その言葉が出家以前の生活の残滓をひきずっている。棄てたはずの現実を反 映する。それを使うかぎり、心の出家はできなくなるはずだ。身体だけはもろもろの絆を断ち切っても精神は 古い文法や論理を用いて働いているのでは不テッテイである。古来、この点に留意したらしい隠遁者がすくな いのは残念というほかはない。 いんとん *はんぷく *語注 3残滓… のこりかす。 7反覆…繰り返すこ 一 言葉は事物を表現するために用いられる。反覆して頻繁に使われていると、言葉と事物の両者はいかにも一 体不可分のように思われてくる。 言葉はもともと記号であって、記号としての操作ができるはずだが、事物の くまどりが濃くなると、記号としては自由に使えなくなってしまう。 思考の手段としては扱いにくいものとなる。 日常の言語で新しいことを考え出したり、 純粋の思考をするのが思いのほか困難であるのはそのためで、科学 0 者は新しい記号をいろいろ案出する。 数学はそういうもののうちで、もっともソウレイな記号体系といえよう。 3 言葉には二通りの用法がある。ひとつは事物を指示する使い方であり、他は事物の関係をあらわす記号とし ての用途である。具体的用法と抽象的用法(メタラング)といい換えてもよい。 同じ言葉でも、具体的に用いたり、 観念的に使ったりする。 具体的用法はいわば自然発生であるから問題ないが、それを虚構の記号に見立てるの はすぐれて人間的、文化的な営みである。人間が言語的動物といわれるのも、この用法を発達させることに成 功したからにほかならない。 13メタラング・・・メタ 系を説明するのに 1みどり児…生まれ 4具体的に存在するものを指示する言葉を、そういう照応なしに使うようになるこのテンカンの教育は、思い がけない早い時期に行なわれている。 幼児期のおとぎ話である。 漢字 傍線部⑦ ⑤ みどり児は具体的言語を身につけるが、それだけでは直接経験の範囲から出られない。未知を理解するよう になるには、これを虚構化しなくてはならない。存在しないものを表現した言葉がわからなくては、言語は文 2 のニナい手になることができない。 せ。 → ⑥ それをリクツ抜きにやっているのがおとぎ話である。どこの国でも、まだ、教育ということがほとんど考 えられなかった時代から、子供は"なし"を聞くことを喜び、大人はそれを話して倦むことを知らなかった。 超現実的フィクションであるおとぎ話もくり返し語られると、虚構の世界が認知されてくる。 こうして、実の言葉に対して虚の言葉がわかるようになる。記号としての言葉の一部は、こうしてほとんど 25 すべての人間に教えこまれる。ただ、この虚構化が入念に行なわれるか、おざなりに通過されるか、で大きな 違いが出てくるように思われる。 虚構化は言葉の出家だといってもよい。 ステップ ② * 3 キーセ *さん K きずな 本文に次の に答えよう ・キーワード... ・キーセンテン

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現代文 高校生

この写真の筆者の主張と理由と具体例はどこでしょうか…? 教えて頂けたら嬉しいです!!

130 PELION STA PONEDABAR 今井むつみ オカピの胃袋はいくつか 私たちは世界について、膨大な知識を持っています。 そして、直接見たり、経験したり したことがないことについても、たくさんのことを知っています。 私たちは多くのことを 学校で学びますが、それが私たちの知識のすべてではありません。 ことばを自然に、知ら ないうちに覚えたように、私たちは世界についての非常に多くのことを、自然に、知らな いうちに身につけます。 しかし、どうして直接経験したことがないこと、教えてもらって 5 いないことについて知ることができるのでしょう。 「突然ですが、 みなさんは「オカピ」という動物を知っていますか。 写真を見ると、ちょっ とシマウマに似ています。 シマウマのように全身にシマがあるのではなく、体の大部分は こげ茶で脚だけにシマがある、とても美しい動物です。 最初に見つかった時は見た目のせ いでしょうか、シマウマの仲間であると発表されましたが、あとからキリンの仲間である。 ことがわかりました。 ところで、事典やインターネットでオカピについて調べる前に、オカピがどのような特 徴を持つ動物か、自分で考えてみてください。 例えば、オカピには蹄があると想像できま ひづめ すね。では、オカピの蹄は一つでしょうか、二つに分かれているでしょうか。ちなみに、 シマウマの蹄は一つ、キリンの蹄はウシなどと同じで二つです。 蹄が一つの動物と、蹄が 二つの動物では、胃のつくり、食べ物の消化のしかたなどが異なります。 例えば、蹄が二 1はんす つある動物は、一部の例外を除いてみな、ウシのように複数の胃を持っていて、食べ物を 反芻しながら順番に消化していきます。 オカピはいくつの胃袋を持ち、どのように食べ物 を消化するのでしょうか。 おそらく、みなさんは、オカピのことを知らなくても、 キ リンの仲間だと聞いただけで、草食動物だと思ったはずです。 もしかしたら、首を伸ばして木の葉っぱなどを食べる、と思っ たかもしれません。 蹄もキリンと同じように二つに分かれて いる、と思い、さらに、複数の胃を持っていてウシのように 徐々に食べ物を消化していく、と思った人が多いのではない でしょうか。 これらはすべて正解です。このように、オカピはキリンの 仲間である、という知識から、私たちはオカピについてさま B ざまなことを類推することができるのです。 「私たちは、一つのことを知れば、それを元に、似た事例に ついて類推していくことができます。そうすることによって、 直接経験していなくても、教えてもらっていなくても、おの ずと、世界について多くのことを身につけていくのです。 5 論理を読み取る 読む 論理の展開を読み取ろう V KALAU ADA SVAKODN 筆者の主張とその根拠を しながら読もう。 □具体例の働きをとらえ、 具体 と抽象の関係を考えながら読 もう。 1反芻 ウシなどの動物が、 一度飲 み込んだ食物を口の中に戻し、か み直して再び飲み込むこと。 語句 ちなみに おのずと 漢字 経験(経過・経る) 体験 突然 突撃・唐突) 特徴(象徴) 特長 除く(除去・削除) 加える 87

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書いてあるところ合ってますか?空いてるところ教えてください、🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

第3回 文章表現の力 月 P20-27 さらに 第3回 ① 医者は、「絶対(安楽 次の()のことばのうち、どの語を用いたら正しい表現となるか。 その記号を○で囲め。 正しい表現 (2点×5) 安静 ウ 安全)」と言った。 発達 ウ 進展がない。 衝動 ウ 打撃)にかられて家を飛び出した。 自説に(ア固持 固守 ウ固執し過ぎるのはよくない。 ⑤ 懸案の問題も(ア早晩 イ最前 先刻) 解決するだろう。 ② まねするばかりだと (ア進歩 (ア 衝撃 2 次の()に入る最適なことばをそれぞれ後ろから選び、記号で答え 文の強調表現 ( 2点×10) () 事故の巻きぞえになるところだった。 よ。 上等な品物で、他のお店にはございません。 子どものことですから、 お許しください。 できていないじゃないの。 夏休みの宿題、( ⑤(力)雨もあがったようだ。 あの問題は( 解決できそうだ。 ⑦ この成績で大学に行くなんて、 ( 無理だよ。 (8 ( 学問にはげむ毎日。 ⑨ 練習によって( 技術は上達する。 言うまでもあるまい。 あやうく とびきり ウなんとか オどだい ようやく キ もっぱら ク なにぶん いまさら ⑤ 次の短歌を読んで後ろの項目に該当するものを選び、記号で答えよ。 近代短歌 (122点) D 1. 文章表現・韻文・文学史・文法の力 H まるっきり 2 ケ 3 次の()に入る最適なことばを後ろから選んで記号を書き入れ、意 文の正しい接続表現 ( 2点×10) 味の通る文にせよ。 五月五日 (1) 子供の日。 ② もう何日も雨が降らない。(?)、稲の生育が遅れている。 ③ わたしたちは全力を尽くした。(H)、試合には負けた。 ④ 彼女は数学が得意だ。 (カ)、英語もよくできる。 ⑤ 彼の作品は色がすばらしい。 (ウ)、この絵もそうだ。 ⑥ 森君はすでに終わった。(オ)、私はまだ手もつけていない。 ⑦ 先日は失礼しました。(イ)、その後、話はどうなりましたか。 ⑧ コーヒーがいいですか。 (キ ) 紅茶? 私は驚いた。(ク) いるはずのない彼がそこにいたからだ。 ⑩ 行ってもかまわないが、(ケ)保護者同伴のこと。 ところで たとえば いっぽう だから しかし ただし そのうえ それとも なぜなら すなわち 次の()に入ることばをそれぞれ下から選び、記号で答えよ。(同じ ことばを二度使用しないこと。) 強調した表現の文(2点×5) ① その理由は当事者に才)わからない。 ② 進級のためにできる(ウ) の努力をした。 さえ ③ 二年前に一度会った (P)、会っていません。 ウだけ ④ 子ども(エ)それくらいの事はわかる。 A でも オ しか ⑤ あなた ( 承知なら、私はかまいません。 しがなおや しらかば 志賀直哉とともに雑誌「白樺」を創刊した二人の作家とその作品を次 から選び、記号で答えよ。 近代文学白樺派 (2点×4) 26 きり

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現代文 高校生

⑶.⑷.⑺.⑻を教えてください

昨日、久しぶりに“梅雨の晴れ間に、大文字山を登った。先月の激しい雷雨で土砂が“クズれ、 足もとが悪いところもあって、散歩にしては 。ゲワしい道程である。そのぶん、登り切ったときの爽 快感も格別だ。山頂からの眺めを楽しみに登る人も多い。僕は大体、考えごとをしながら登るので、 山頂に着くとそのまま景色を °一督して引き返してしまうのだが、昨日は珍しく、しばらくぼうっと していた。 すると、遠く彼方に連なる山の緑の中に、キラッと光るものが見える。正体はいまひとつ。判然 としないが、山の中の何かが太陽の光を反射しているのだろうと思う。それが、キラッキラッと、繰 り返し光る。僕は遠くのその光が、遠くに見えるということが何とも不思議に思えて、ただ。ギョウ ふした。 太陽の光が何かに当たって跳ね返り、その光の粒子が空中を伝わって。フクザツな物理化学的過 程を引き起こし、結果として、脳内にある活動のパターンが生成していく。この脳の活動によって、 僕の「見える」という経験が生み出される。~大雑把に言えば、これが 科学的な説明になるだろうか。 しかし、だとしたら、なぜ山の風景は「目の前」にではなくて、遠くに、ずっと向こうに、「あ そこに」はっきり見えるのか。僕が見ているのが山の中の光そのものではなくて、そこから空中を伝 わり、目の中にまでやってきた光の粒子なのだとしたら、なぜ僕にいま「見える」のは、その到来し てきた日の前の粒子ではなくて、身体のずっと向こうの、遠くの、山の中の、まさに「あそこの」光 なのだろうか。考えれば考えるほど不思議になって、僕はただじっと、その光を見つめ続けた。 いま僕の手前の床の間に、花瓶に生けられたスターチスがある。花は、その花が生けられたまさ に「そこ」にあるように見える。僕は花から到来した光の粒子を見ているというより、その花を、 直に見ているように感じる。手の届かない、日で直接触れているわけではないその花が、その場所 森田真生「白紙」ワークシート*読んで考えたことを、話してみよう* ト (1)-7見える」ということの にありありと、はっきりと見える。 光の粒子と網膜の物理的接触というよりも、もっとはるかに親密な関係を、僕は花と結んでいる ように思える。花が「見える」ということは、どこか深いところで花と直に触れ合っていることだと いうふうに思える。花だけでなく、花瓶と、あるいは山と空と、つまりは環境のすべてと、いつの間 にか僕は心を通わせ合っていて、その「通い合う心」が「見える」「聞こえる」「わかる」ということ を、背景で支えているような気がしてくる。 「見える」ということは実際、今の人類にはとてもまだ言葉にできないような、不思議で奇跡的 な事態なのではないか。あまりに不思議で、あまりに大きな謎なので、(かんら)「当たり前」と いうことにされてしまう。 不思議なことを当たり前のこととして、(すなわて) は前に進めないところがある。 (下とんに)「見える」「聞ごえる」機械は作れないとしても、「見える」ことを前提として、そ の能力を拡張する眼鏡や望遠鏡や顕微鏡を作ることならできる。自力で「わかる」機械はなかなか作 れそうにないが、人の「わかる」力を前提として、それを延長することならコンピュータにできる。 そうして人は、最大の謎を、最奥の深秘をひとまず括弧にくくることにして、不思議の先に、広 大な知と実用の世界を構築してきた。いまや 前提の、すべてを支える原初の不思議の、不思議であることすら自覚されない。 「前提」とすることによってしか、人 い その構築された世界はあまりに壮麗で、足もとの

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