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れ、ドルとほかの通貨の交換比率が定められた。 ドルを基
軸通貨とすることで、アメリカの圧倒的な経済力を支えに
して、世界経済の安定と一体性を守ることがねらいであっ
収支が悪化した国を援助するために、 国際通貨基金
(IMF) と国際復興開発銀行 (IBRD) もつくられた。 さらに、
5
かんぜい
しょうへき
関税をはじめとする貿易上の障壁を取り除き、 貿易の自
ドル
金 1オンス(約
由化を進めるために、関税及び貿易に関する一般協定
ガット
いつ
(GATT) も締結された。 国際経済に関わるこれらの制度の
円
ポンド フラン
全体を、ブレトン=ウッズ体制と呼ぶ。
10
ソ連の実質的な支配下におかれた東ヨーロッ
マルク
3金ドル本位制
交換を保証し、 名
を通じて金と結
米ソ対立の始まり
パ諸国では、当初は比較的自由な選挙もおこ
なわれたが、各国の共産主義政党は、競争相手である労働者政党を徐々
戦後の経
のように
のだろうか。
がっぺい
に吸収合併してい
アメリカを中心とする資本主義諸国と、ソ連を中心とする社会主義諸
国の関係は、1947年になると、はっきりと対抗的なものとなった。 当時、
ギリシアでは王党派と共産党支持者の内戦がおこっていたが、 1947年に
アメリカがソ連勢力の「封じ込め」政策 (トルーマン=ドクトリン)を宣
かいにゅう
ふう
言して介入を深め、 共産化を防いだ。 つづいてアメリカ国務長官マー
シャルが、 ヨーロッパ経済復興援助計画(マーシャル=プラン) を発表し
20-1959
こうはい
その背景には、ヨーロッパの荒廃が続き、 社会格差が拡大すれば、
しんちょう
けねん
産主義勢力の伸張につながるという懸念があった。 実際、 イタリア
ンスでは共産党の支持が広がっていた。
アメリカ
主義に対
うか。
①トルーマン
ソ連が勢力圏
る場合、アメ
拡大をおさえ
ないとする
おけるアメ
基礎づける
マーシャル=プラン受入れの拒否を東ヨーロッパ諸国に求める
ともに、国際共産党組織コミンフォル
じじんえい
ム (共産党情報局) をつくり、 自陣営の引
諦めをはかった。 1948年2月、大統領
イギリス
ロンドン
北海
デンマ
ベルギー
オランダ、
ドエス
ラトヴィ
リトアニ
ベネシュのもと、チェコスロヴァキアが
ホーランド
ワルシャワ
1884-1948
パリ
マーシャル=プランの受入れを決める
てっかい
チェコスロヴァキア
二、 ソ連はこれを撤回させ、さらに共産
は街頭デモを組織して、 ベネシュを辞
三に追い込んだ(チェコスロヴァキア=
ーデタ)。これを皮切りに東ヨーロッ
諸国では、人民民主主義体制という名
フランス
ウィーン
スイスーストリア
ブダペスト
・ハンガリー
ルー
イタリア
ベオグラード
ユーゴスラヴィア
地
ロー
アルバニア
申
0
300km
ギリシア
のもと、形式上は複数政党制を残しつ 第二次世界大戦後のヨーロッパ