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国語 中学生

この問題を教えてください!!

次の【投書】 1・2と、それについての【生徒 の会話】を読んで、問いに答えなさい。 【投書1】日本語の伝統が失われる会社員(〇〇県57) 最近、外来語の多用が目立つ。たとえば「インバウ ンド」「オーソライズ」「エビデンス」など。なお「イ ンバウンド」の意味は「内向きの・本国行きの」、「オー ソライズ」の意味は「認可・公認」、「エビデンス」の しょうこ こんきょ 意味は「証拠・根拠」といったもののようだが、それ なら日本語で表現したほうがずっとわかりやすいはず だ。にもかかわらず、わざわざ耳慣れない外来語を使 うというのは、日本語の乱れに通じる。なぜか。第一 に、これらの外来語は、そもそも意味が通じにくいか らである。また、こうして外来語を多用しているうちに、 旧来の美しい日本語が失われていくという危惧もある。 このまま外来語の多用が続けば、日本語の伝統は失わ れ、古き良き日本語はどこかに消えうせてしまうので はないか。私は本気で心配している。 【投書2】「言葉の乱れ」というナンセンス きぐ ことができると思います。 山口 その意味では、私は【投書1】の意見よりも、【投 書2】の意見に合理性を感じます。たしかに明治の ころの日本語と現代の日本語の間には、大きな隔た りがあります。しかし、それは時代に合わせて言葉 が変化してきた結果と捉えるべきでしょう。 田村 ただし、【投書2】の意見に完全に同意するわけ にもいかないのではないでしょうか。なぜなら、 2主張(音 ①それ D それ とは言い切れないからです。たとえば、 「お客様、どうぞいただいてください」といった表現 を時々耳にしますが、これなどは「言葉の変化」では なく、明らかな「誤用」つまり「乱れ」でしょう。 正し くは、「お客様、どうぞ召し上がってください」と言 うべきですから。 山口 なるほど。ということは、時代の変化に対応す るための語彙の拡大などは「言葉の変化」といえます ■と考えるのが適切なのですね。 E 複数の 1主題(テー ①それぞ ②それぞ なり 3理由 そ 2 点を 結 拠 平 1 大学生(××県21) 最近、何かと言えば「言葉の乱れ」と言いたがる中高 年の人が多い。らによれば、若者言葉も外来語も、 線部「これらの外来語」の例として、どんな 言葉が挙げられているか。 【投書1】の中から三つ (各5–15点順不同) 抜き出せ。 たび とにかく新しい言葉は全て「日本語の乱れ」ということ になるようだ。 A、彼らの言う「乱れていない日本 語」とはどんな言葉なのかといえば、実は彼らの若いこ ろ、具体的には昭和の時代に使われていた日本語とい うだけのことである。その昭和の日本語も、明治時代 の人から見れば乱れていたことだろう。 新し い言葉が出てくる度に「言葉の乱れ」と騒ぐのはナンセ ンスなのである。長い歴史を振り返ってみれば、日本 語が常に時代に即して変化してきたことは、否定しよ さわ 2 A・Bに入る語句の組み合わせとして最も 適当なものを次の中から選び、記号で答えよ。 ア A=だから LO B=しかし (20点) そく イ A=たとえば ウ A=しかし BB B=ただし エウ B=だから A=ただし B=たとえば うのない事実だ。「日本語の乱れ」論者は、しばしば「日 本語の伝統」ということを言いたがる。しかし、「伝統」 について語るならば、変化こそが日本語の伝統なのだ。 言葉の乱れなどは存在しない。存在するのは「言葉の変 化」だけだ。 【生徒の会話】 (3) ]Cに入る語句を、【投書1】から三十字で 抜き出し、初めと終わりの五字を答えよ。(完答20点) 4 たむら Dに入る語句を、【投書2】から十三字で 抜き出し、初めと終わりの五字を答えよ。(完答20点) 田村 【投書1】の意見と【投書2】の意見は対立してい ますね。 やまぐち 山口 【投書1】では二つの理由を挙げて、外来語の多 用が日本語の乱れに通じると論じています。私は、 新しい外来語は意味が通じにくいという説にはある 程度納得できるのですが、 は、賛成できません。むしろ外来語が増えることで、 という考えに 日本語が豊かになるという考え方もできるでしょう。 田村 賛成です。現在、グローバル化が進んでいます。 外来語の多用は、グローバル化の進展に対応するた [Eに入る内容を、「敬語」という言葉を使っ て二十五字以内で書け。 0 (2点) 5 (4) N E C T

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国語の中3の世界はうつくしいとの表現技法って反復法以外にありますか?あと、作者の工夫などありますか?

世 うつくしいものの話をしよう。 いつからだろう。ふと気がつくと、 うつくしいということばを、ためらわず 口にすることを、誰もしなくなった。 そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。 うつくしいものをうつくしいと言おう 。 けいこく 風の匂いはうつくしいと。渓谷の 石を伝わってゆく流れはうつくしいと。 午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。 遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。 きらめく川辺の光はうつくしいと。 おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。 行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。 花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。 雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。 太い枝を空いっぱいにひろげる おおいちょう 晩秋の古寺の大銀杏はうつくしいと。 冬がくるまえの、曇り日の、 南天の小さない実はうつくしいと。 コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。 過ぎてゆく季節はうつくしいと。 さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。 一体、ニュースとよばれる日々の破片が、 わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。 あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。 うつくしいものをうつくしいと言おう。 幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。 シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。 何ひとつ永遠なんてなく、いつか すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。 作者 長田弘一九三九 (昭和一四) ―二〇一五 福島県出身。詩人。 著書 詩集「深呼吸の必要」 「心の中にもっている問題 出典 「世界はうつる

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ここ教えていただきたいです。

<栃木県>[20点×2] 次の文章を読んで、あとの各問いに答えなさい。 やすお 昭和四十一年の晩秋、宮城県のある地区で、電気が初めて通じた ことを祝う式典が開催された。 その日、式典に参加した安雄は、飼 育していた牛の「桃子」を売却することもあり、会場の外に「桃子」 を連れて来ていた。式が進み、安雄の娘の朝美が児童代表として作 文を読んだ。そこには、両親への感謝の気持ちがつづられていた。 あさみ うち 「 家のなかは電気で明るくなりましたが、一ヵ所だけ、暗いままの ところがあります。 それは桃子の牛舎です。 私が桃子だったら、お家の なかは明るくていいなあと、とても寂しくなると思います。 これから、 長くて厳しい冬がやってきます。桃子だけに寂しい思いをさせるのは可 わいそう 哀相でなりません。 牛舎にも電気があれば、桃子も寂しくなくなり、こ れからやってくる冬を安心して乗り越えられると思います。だから私は、 今日、家に帰ったら、桃子の牛舎にも電気をつけてくれるように、父に お願いするつもりです。」 式典が無事に終了したあと、背広姿の安雄は、桃子の鼻輪に通したロー プを曳いて、静子と肩を並べて歩いていた。 向かっているのは、自宅である。 結局、桃子は組合のトラックには乗せなかった。あんな作文を娘に読 まれたあとでは、桃子を売り飛ばすことなど無理である。 「朝美、わざとあんな作文を書いたんだっちゃねえ。」 e 87.6% 正答率 女房が隣で苦笑する。 「わざとって、どういうこった?」 安雄が尋ねると、 「だってえ。あれだけ大勢の前で、あいな作文を読まれだったら、みん なの手前、売りたくても売れなくなるすべ。 朝美はね、それが分かってで、 わざとあんな作文を書いたの。そうやって、あんだのことを上手に操っ たのっしゃ。」 「んだべがな......。」 「んだに決まってっぺ。」 「うーむ......。」 男親である安雄は、娘の作文にただただ感動し、娘にとっての大事な 家族を手放すことなどできやしないと、そう単純に思っただけなのであ るが、女親の静子のほうは、少々見方が違うようだ。 まあしかし、それはどちらでもいいことだ、と安雄は思う。俺にしたっ て、本当は桃子を手放したくなかったのだ。 桃子と別れたくはなかった のだ。桃子の売却を思い留まらせるために、朝美があの作文を書いたの だとしたら、それはそれで感謝すべきことである。 くまがいたつや (熊谷達也 「桃子」より) 1線部①「今日、家に帰ったら、桃子の牛舎にも電気をつけてく れるように、父にお願いするつもりです」とあるが、この言葉に込め られている朝美の思いとして最も適切なものはどれか。 次のア~エか ら選び、記号で答えなさい。 とど

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問題のなかの⑥丈夫が形容動詞ではない理由が知りたいです

問 7 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 ま 「昭和三十二年四月二十四日」私の十一才の誕生日である。 父は私の誕生日に、この背負い台を作ってくれたらしい。 ぎりで木を縦に挽いて、のみで穴を彫り、横木を通し、藁縄 巻き、秋に刈り取っておいた柔らかなミョウガの茎を編んで哲 負い紐をつけ………無器用だった父が、粗末な道具でこれだけの ものを作るのに、どれだけ日にちをかけたことだろう。 そまつ 木は桃の木を使ってあった。朴の木は枯れると非常に軽くな り、丈夫という点には少し欠けるが、感触は暖かく、下駄や木 版画に使われていた木である。使っていた時は、何の木で出来 ているかなどは考えもしなかったが、私が薪を背負って長い山 道を歩く時に、少しでも軽く柔らかく背中に当たるよう心を 配ってくれたのである。 敗戦の傷みをずっと背負い続けてきたような人で、無口で頑 13 など 固で、子供たちと和やかに話など出来ない父だったが、私もあ の頃の父の年齢に近づき、その無器用だった愛情に、今さらな がら気づかされている。 ほしのとみひろ (星野富弘「背負い台」より) ちが I のこ

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