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幽 図
文黄 の
天暦の御時に
清遠殿の御:
]の枯れた
おほかがみ
「」「bり」
7N
させ給ふ
置「きむち求
Y〈国S京
家あるじ」「木に
持てまれ」とい
【和歌】「勅なれば
女次の文章は語り手 (夏山繁樹)が、村上天皇在位中の出来事について述べたものである。
%く
いとをかしうあはれに侍りしことは、この天暦の御時に、清 涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求
めさせ給ひしに、なにがしのぬしの蔵人にていますがりし時、うけたまはりて、「若き者どもはえみしらじ。
|ども、侍らざりしに、西の京のそこそこなる家
きむぢ求めよ」とのたまひしかば、一京まかり歩き」
「何者の家ぞ」
一を、堀り取りしかば、家あるじの、「木にこれ結ひ
が)
→0[目じうん
女の住む所なりけ
に、色濃く咲きたる木の様体うつくしきが侍りE
つけて持てまるれ」といはせ給ひしかば、あるやうこそはとて、持てまゐりてさぶらひしを、「なにぞ」と s
帝あまえおはしょ
語り手」繁樹今生e
や侍りけむ
6
て御覧じければ、女の手にて書きて侍りける、
4y
勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ
とあり皿 ]に、あやしく思し召して、「何者の家ぞ」とたづねさせ給ひ[ ]ば、貫之のぬしの御 女の
ロ典 編紀貫之
み S
紀貫之は平安時代を
百人一首には「人は
ずふるさとは 花ぞ
ひける」が採られて
住む所なりけり。「遺恨のわざをもしたりけるかな」とて、あまえおはしましける。繁樹今生の辱号は、こ
の。
れや待りけむ。さるは「思ふやうなる木持てまるりたり」とて、きぬかづけられたりしもからくなりに10
|>]Pリまやかに笑ふ。
問紀貫之が撰者と,
た勅撰和歌集を選
*天暦の御時…村上天皇(在位九四六~九六七年)の治世
..何とかというお方
*蔵人…天皇の近く
*清涼殿