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第5章 2
国際平和と安全保障
【パリ講和会議と国際連盟の成立】
□1.1919年1月に始まった第一次世界大戦の講和会議(=①
アメリカ合衆国大統領の(②
いて公正な講和の実現を呼びかけた。
□ 2. ドイツと連合国の講和条約 (③
ばいしょう
では、巨額の賠償金の
支払い、 植民地の放棄、 軍備の制限がドイツに課された。 また、アルザスと
ロレーヌは (④
に割譲され、 ラインラントが非武装化された。
かつじょう
の理念にもとづき、
□3.パリ講和会議では、「十四ヵ条」 に含まれた (⑤
ポーランド・フィンランド・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア・ハン
ガリーなどの独立を承認したが、 諸民族が混住する中央・東ヨーロッパ地域
に国境線を引いた結果、各国は少数民族の問題を抱えることとなった。
□4. パリ講和会議では、アジア・アフリカ地域については (⑥
の発想
が優位を占め、 オスマン帝国の統治下にあったアラブ地域はイギリスとフラ
ンスのドイツの植民地であった赤道以北の南洋諸島は日本の (⑥) 領となっ
た。
□ 5. アジア・アフリカの人々はパリ講和会議の結果に失望し、 朝鮮の (⑦
など、各地で抗議運動をおこした。
や中国の ( ⑧
□6. 「十四カ条」にもとづき国際平和機構として (⑨
)が創設され、 イギ
リス・フランス・イタリア 日本が (1⑩0
カが参加せず、ドイツやソヴィエト=ロシアは排除された。
□7 (⑨) は、経済制裁はおこなえたが、 ( ⑩ ) 制裁の手段はもたなかった。
また、議決の方法は総会での全会一致であった。
□8. パリ講和会議によって定まった、ドイツへの処遇や、新たな独立国の承認、
国際連盟の成立などを、全体として (12
_ ) 体制と呼ぶ。
【ワシントン会議】
□9. アジア・太平洋地域の戦後秩序の確立のため、 1921~22年にワシントン会
議が開かれた。 この会議で成立した国際秩序を(13)
体制と呼ぶ。
とうしょ
□10. アメリカ イギリス 日本・フランスのあいだに太平洋の島嶼の現状維持
を定めた (⑩4
が結ばれ、これにともない (15
は解消
された。
□ 11. アメリカ・イギリス 日本 フランス イタリアのあいだに (⑩6
では
)が、 「十四カ条」 の平和原則にもとづ
となった。 なお、アメリ
__) が結ばれ、 アメリカ・イギリス 日本のあいだで主力艦の保有比率が
5:5:3と定められた。
は、中国の主権の尊重を定めるとともに、
□12. 中国についての (⑩7
経済上の ( 18
【1920年代の西ヨーロッパ諸国】
□13. イギリスでは、第一次世界大戦で総力戦を担った国民のあいだに権利意識
が高まり、大戦末期の1918年、 男性 (19) 選挙が導入されるとともに、 女
性参政権も認められた。 1924年には初の労働党政権が実現した。
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機会均等の原則も約束された。
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パリ構秘会議
ウィルソン
十四条