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粟田讃岐守兼房といふ人ありけり。年ごろ、和歌を好みけれど、よろしき歌もよみ出ださざりけれ
ば、心に常に囚麻呂を念じけるに、ある夜の夢に、西坂本とおほゆる所に、木はなくて、梅の花ばか
り雪のごとく散りて、いみじく香ばしかりけり。心にめでたしと思ふほどに、かたはらに年高き人あ
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り。(直衣に薄色の指貫、紅の下の袴を着て、なえたる烏帽子をして、烏帽子の尻、いと高くて、常の
人にも似ざりけり。左の手に紙を持て、右の手に筆を染めて、ものを案ずる気色なり。あゃしくて
州
「たれ人にか」と思ふほどに、この人いふやう、「年ごろ、人麻呂を心に懸け給へる志深きによりて、
形を見え奉る」とばかりいひて、かきけつゃうに失せぬ。
夢覚めてのち、あしたに絵師を呼びて、このありさまを語りて、書かせけれど、似ぎりければ、た
びたび書かせて似たりけるを、宝にして、常に礼しければ、そのしるしにやありけむ、さきよりもよ
ろしき歌、よまれけり。年ごろありて、死なむとしける時、白河院に参らせたりければ、ことによろ
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こばせ 給ひて、御宝の中に加へて、鳥羽の宝蔵に納められにけり。
Sのだい4 あきす や
六条修理大夫顕季卿、やうやうにたびたび申して、申し出だして、信茂をかたりて、書き写して
あやみや
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持たれたりけり。教光に讃作らせて、神祇伯顕仲に清書させて、本尊として、はじめて影供せられけ
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る。時に、婿たち多けれども、その道の人なればとて、俊頼朝臣ぞ陪膳はせられける。さて、年ごろ、
影供をおこたらざりけり。
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末に長実、家保などをおきて、三男顕輔、この道にたへなりければ、譲り得たりけるを、院に参ら
せたりける時、御感ありけるを、(長実、御前に 候ひけるが、そねむ心やありけむ、「刀人麻呂の影、そ
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れ益なし。めづらしき文あらば、色紙一枚には劣りたり」とつぶやきたりければ、院の御気色かはり
て悪しかりければ、立ちけるを召し返して、「なむぢはいかでか、わが前にてかかることをば申すぞ。
3。
みなもと夢より起こりて、あだなることなれど、黒房、さるものにて、ことのほかにうけることはあ
らじと思ひて、われ、すでに宝物の内に用ゐて、年ごろ経にたり。なむぢが父、ねんごろにこれを営
みて、久しくなりぬ。かたがた、いかでかをこづくべき。かへすがへす不当のことなり」とて、いみ
5.
じくむつからせ給ひければ、はふはふ出でて、年なかばばかりは門さして、音だにせられざりけり
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これにつけても、かの影の光になりにけるとなむ。
(『十訓抄」による)
〈注〉粟田讃岐守兼房
藤原兼房。平安時代の歌人
人麻呂
柿本人麻呂
現在の京都市左京区
白河上皇
現在の京都市伏見区にある白河院の鳥羽離宮
<条修
人顕季卿 藤原顕季。平安時代の公卿、歌人