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現代文 高校生

直後にエの選択肢の"バイアス"という言葉があったので"エ"だと思ったのですがナゼダメで"ウ"になるのですか。

(ニ) つぎの文章を読んで、後の問いに答えよ。 日本の散文芸術(和文体) の歴史を振り返ったとき、厳密な意味での「三人称」の世界が存在したかどうかはきわめて疑わしい。 物語にせよ軍記にせよ、時に現場に密着したある一人の人物から語られているかと思うと、次の瞬間には全体を傍厳する、全一 能的、バノラマ的な視点に切り変わっていたりもする。大宅世継が夏山繁樹に語るのを作者が聞き書きする(「大鏡」)、という 形に象徴されるように、そこでは多くの場合、誰が誰に語るのか、という具体的な「場」が前提となるのであり、たとえ客観的一 0をH6Jき 融通無得な様態を。 の一貫性を求めて無意識のうちに蓋合性をつけて読もうとしているからなのではないだろうか と感じるのであるとするなら、それはわれわれが近代的な「人称」の概念の影響を受け、視点- 近代以降の小説は、雨洋の十九世紀的なリアリズムを取り込もうとする動きの中で、「人称」という発想に出会い、これを日 本語の言文一致体に実現していこうとする悪載苦闘の歴史でもあった。物語の内容を表現するにあたって、誰が、どのような 資格で語るのか、という問題が、おそらくこれほどまでに厳しく問われた時代はほかにはなかったのである。たとえば一人」 な叙述の形をとっていたとしても、それはあくまでも「よそおわれた三人称」とでもいうべきものなのである。もしもこうした一 64 2014年度 国語

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現代文 高校生

問5が難しいです。 どういうふうに考えればいいのか教えてほしいです🙇‍♂️

小池昌代 背·背なか·背後 待ち合わせ場所にすでに相手が到着していて、しかもそのひとが後ろ向きに立っていたような場合、一瞬、どんなふ うに声をかけようかと、迷いながら背後からそのひとに近づいていく。 前からだったら、目と目があえば、それで済む。待った? 久しぶりね、さあ、行こう 会話は船のように自然と ピトの無防備な背中を前にすると、なぜか言葉を失ってしまう。つきあってきたのは、どのひととも、彼らの正面ば かりのような気がして、心もとなく背中をナガめやる。 そのひとがくるっと後ろを振り向けば、ただちにわたしは、そのひとの世界に合流できるのに、後ろ姿は閉ざされた そのままわたしが行きすぎれば、そのひととわたしは永遠に交わらないまま、これを最後に別れてしまうかもしれな 3 待ち合わせの約束東を一方的に破棄するのだから、これは裏切りだが、出会うことは常におそろしい衝突でもあるから 衝突をさけて、ひとの背後を、ひたすら逃げ続けるという生き方もある。例えばハンザイ者か逃亡者のように そういう考えが、ひとの背を見ながら、わたしのなかにひょこっと現れる。そのことはわたしを少し驚かす。わたし は何かを恐れている。 そもそも背中は、そのひとの無意識があふれているように感じられる場所である。だから誰かの後ろ姿を見るとき、 見てはならないものを見たようで後ろめたい感じを覚えることもある。 背中の周りに広がっているのが、そのひとの「背後」と呼ばれる空間だ。自分の視線がまったく届かない、見えない 後ろ半分のこと。わたしはこの空間になぜか惹かれる。見えない、というところに惹かれているのだろうか ひとは自分の背後の世界で、何が起きているのか知り得ない。だから背後は、そのひとの後ろに広がっているのに そのひとだけをユイイツ、排除して広がっている。 背後という空間から、その人自身が排除されているといっても、それはひとと背後が無関係であるということではな い。振り返りさえすれば、いつでもひとは、自分の背後がそこにあることに気づく。もちろん、振り返ったのち一瞬に して、そこは背後ではなくなるわけだが、先ほどまで背後としてあった気配は、すぐには消えないで残っている。 そのとき今度は正面であったところが、自分の背後と化している。しかし意識が及ぶのは、常に眼前の世界で、背後 のことはソクザに忘れられる。視線の行くところが意識の向くところだ。だから目を開けて背後を考えるのは、開いて いる目を、ただの「穴」とすることに他ならない。その穴のなかを虚しい風が通り抜けていく。背後を思うとき、自分 が、がらんどうの頭蓋骨になったような気がする。 ひとと話をしていて話の途中で、そのひとの背後にふと視線が及ぶことがある。 何かとても大切なことを話しているときに、後ろで樹木がはげしく風にユられていたり、夕日がまぶしく差し込んで いたり、鳥が落ちてきたり、滝が流れていたり、不吉な雲が流れていたりするのに目がとまる。 不思議な感じがする。こちら側の世界と触れ合わない、もうひとつの世界が同時進行で存在している。そのことに気 づくとおそろしくなる。背後とはまるで、彼岸のようではないか。 そしてわたしが見ることができるのは、常に、他者の背後ばかりだ。見えるのが、いつも、ひとの死ばかりであると いうことと、これはまったく同じ構造。 自分の死が見えないように、自分の背後は見えないし、そもそもわたしは、自分の後ろ側など、まるで考えもせずに 暮らしている。見ることができないし、見る必要もないのだ ただし、着物を着て、希の具合を見たいときなど、あわせ鏡で確認することはある。このことを考えると、やっぱり 鏡とは、魔境へひとを誘う魔の道具であると思う。しかも、背後へは、この道具をダプルで使用しなければならないの だから、ひとが自分の背後へ到達することの、おそろしさと困難さがわかろうというものだ ともかく、背後は死角である。 死角を衝かれる時、ひとは驚く。わたしが冒頭に、後ろからどう、ひとに声をかけようかと迷ったのも、相手をびっ くりさせないためにはどうするのがいいのか、という思いもあった。 そもそも身体に触れないで、声だけでそのひとを振り向かせることはできるのだろうか。

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日本史 高校生

24.(1)⑤ (2)①、② が分かりません、、 教えて欲しいです!🙇‍♀️

28弘仁·貞観文化 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 平安初期には文章経国の思想が普及し,漢文学が盛んになった。勅撰漢 23 もんじょうけいこく ちょくせん 1 しょうりょう ぶん かしゅうれい 朝廷の 詩集として「。性霊集』「b文華秀麗集」「経国集』が編纂された。 I 書道では,( 1 )とよばれる。空海·橘逸勢。桓武天皇が活躍し,唐 風(唐様)の力強い書が隆盛した。 II 大学での学問も盛んで,有力貴族は子弟の教育のため, 大学に付属する 寄宿舎として( 2 )をつくった。藤原氏の。学館院などが有名である。 方,空海は庶民教育のために,学院を創立した。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 文中の波線部a~fが正しければ○を, 誤っていれば正しい語句を書け。 けいこく a 都の峰 くうかい 2 たちばなのはやなり d からよう という, a がっかん b e しょうがく C d e 24-平安時代の仏教 次の問いに答えなさい。 (1) 次の平安仏ム教についての表を見て,下の問いに答えよ。 2 ひえい ( 1 )が唐から805年に帰国した後に開く。渡唐前に創建した比叡山の 草堂が,のち(2 )となる。( 1 )は「顕戒論」を著し,大乗戒壇の建 立を主張した。その後, 弟子の( 3 )と円珍が密教化を進めた。 てんだい けんかいろん だいじょうかいだん 天台宗 えんちん 24 01 こう や 唐で密教を学んだ( 4 )が806年に帰国した後,開く。高野山に( 5 ) しんごん とうじ 真言宗 を創建し、嵯峨天皇から賜った東寺(( 6 )]を中心道場とした。( 4 ) さんごうしいき 2 は『三教指帰」を著す。 3 ① 表中の( )に適する語句を書け。 ② 真言宗の密教を東密というのに対して, 天台宗の密教を何というか。 天台宗はのちに表中の(3)の門流と円珍の門流に分裂した。そのうち, 円珍の門流を何というか。 天台·真言両宗で現世利益を得るために用いられた方法を何というか。 5平安時代初期,仏教と日本古来の神々への信仰とが融合する動きがさ らに進んだ。この動きを何というか。 また, その例として, 神社内に何 が建てられたか。 天台·真言両宗は修行の場が山中であったため, 古来の山岳信仰と結 びついた。その結果,成立した信仰を何というか。 (2) 次のA~Dの写真を見て, 下の問いに答えよ。 とうみつ 4 3 5 げん ぜ りやく 4 6 2 3 5動き A B C DEa 。 例 Cにこ 6 2制作 衣文 ① 写真Aは自由な伽藍配置で建てられた, この時代を代表する寺院の五 重塔である。寺院名を書け。 ② 写真Bの元興寺薬師如来像の制作手法と,衣文の表現技法を書け。 3 密教の神秘的な雰囲気が感じられる写真Cの仏像を何というか。 ④写真Dのように, 仏の世界を特異な構図で示した絵画を何というか。 がらん 3 えもん がんごう じ やくしにょらいぞう G 21

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