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日本史 高校生

問1、問2、問3について教えて頂きたいです。

料書 P44~65〕 中世社会の成立 4ページ 摂関政治と文化の和様化 [教科書 P44~54〕 I) 空欄にあてはまる語句を入れなさい。 また、下線部の問いに答えなさい。 1. 貴族社会と摂関政治〔教科書 P44~47] ED 平安時代になると藤原房前の子孫である藤原氏北家が天皇の母方の親族a 外戚となり勢力を伸ばす。 藤原冬嗣・・・ 房前の曾孫。嵯峨天皇の信任を得て、蔵人頭となる。 - 藤原良房 ・・・冬嗣の子。 842年の承和の変で伴 (大伴) 健岑・橘逸勢らを退ける。 866年に応天門の変のとき、臣下として 初の(摂政)となる。また、応天門の変を利用し、有力氏族の伴氏・紀氏を没落させる。 藤原基経・・・良房の養子。 884年に最初の(関白)として天皇を補佐した。 藤原忠平・・・基経の子、時平の弟。 朱雀天皇の摂政、朱雀・村上天皇のb関白を務める。この ろ、醍醐・村上天皇による延喜天暦の治とよばれる天皇親政が行われる。 藤原実頼・・・忠平の子。 969年の安和の変で左大臣源高明が左遷されると以後、ほぼ常に摂政・ 白が置かれるようになる。 藤原道長)・・・忠平の曾孫。後一条・後朱雀・後冷泉の3天皇の外祖父となり、摂関政 最盛期を実現。 浄土教に帰依し、 法成寺を建立。 藤原頼通)...c道長の子。 後一条・後朱雀 後冷泉の3天皇の摂政・関白となるが、 の娘と天皇との間には、 皇子が生まれなかった。 宇治に平等院を建立。 世紀末~10世紀 (平安時代前期~中期) 天皇が延喜の荘園整理令を出す→班田制の立て直しをめざす。 制度の変更→国司の最上席者の権限が増大し、受領とよばれるようになる。のちに赴任せず 入を受け取る (遙任)がさかんになる。 農民 (田堵) や田地の耕作を請け負い、租庸調や公出挙の利息にあたる官物や臨時雑を国 納めた。 課税の対象となる土地は名という単位にわけられ、 税の請負人は負名とよばれた。 がんから土地に変化。 してもらう

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日本史 高校生

①田地の耕作をするのが田堵ですよね?在庁官人として登用された人は何をするのですか? ②〈受領の支配〉で「請負人の名が付けられる」とありますが"請負人"とは誰のことですか? 教えていただきたいです🙇‍♂️

天皇と結びついた少数の皇族 *官庁 → 公営国(823) …大宰府に設けられた直営田 や貴族は、銀田や賜田の形で多 官田(879)…畿内に設けられた中央官司の財源となる田 くの私有地を集めて勢いをふる 諸司田…諸官庁が所有した田 を い、院宮王臣家とよばれた。 2902年:(2.廷喜の拝園整理会)…律令制の再建を目指す! - 銀醐天皇 ★でも現実には… 戸籍 計帳の制度が崩れる ※902年が最後の班田収授 *租庸調の取立てや国家財政の維持が困難に一→地方の混乱がみられる(三善清行「意見封事十二箇条」) 310世紀,“税の課税を人から土地へ”フ食領とよぶり 国司の最上席者 (3. )に一国の支配権与え、租税納人を請け負わせる! よう ん 一方で、受領以外の国司は実務から排除→任国に赴かずに収入のみ受け取る国司=(4.え海任) く受領の支配> 0受領は実務能力のある下級官人を郎等として雇い、子弟を引き連れて任国に赴く 2回間を統治の拠点とし、現地の有力者を(5.在所巨人) に登用し、実務を担わせる の受領は(6.田 境 )に田地の耕作を請け負わせ、官物·臨時雑復を課す 一課税対象となる田地(7.名 )には請負人の名が付けられる →(8.魚白作制) 戸籍に登録された成人男性への課税は崩れ、土地の面積に応じて課税する体制へ! ※強欲な受領も多く、郡司や農民から訴えられるケースや強欲さを示す事例も…… 「(9.尾張国郡司百性等願」(988)…藤原元命が31 力条にわたる訴状で郡司や農民 あわりのくにぐんじひゅくせい分け から、増税や子弟·郎等の横暴を訴えられる のたた

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日本史 高校生

大至急!!!!! 9世紀ころから地方政治が乱れていく理由について 教えて欲しいです🙇‍♀️

ョ入 (『粉河寺縁起 把東 ながからびっ 歳)左の長唐橋 下,右には海の幸 分 息を が利り 濫えめ国 行取 の 横号る守象 法非 藤 公事(→p.56)と こくし ふじわらのもとなが あっせい ぐんじりゃくしょう。 げぶみ の国司の長官藤原元命の圧政に対する農民の訴え(尾張国郡司百姓等解文) おわり たもの。 地方政治の 9世紀になると,政府は租税の実質的な確保を目 こくし 転換と受領 ぎょうせい 的に,しだいに実際の地方行政の運営を国司に任 ふにん せるようになった。その結果,現地に赴任した国司の最上席者に権限 が集中するようになり, 彼らは受領(前任国司から国務を受領した者) とよばれた。一方, 受領以外の国司の地位はその収入だけが目的とさ ずりょう ようにん0 ふゆう れ、現地に赴任しない遥任もさかんに行われるようになった。富裕な じょうごう いなばどう (『因幡堂縁起絵 いなばの 橘行平が因幡 ちょうにん 受領は,成功によって重任したり, さらに実入りのよい国の受領に移 たちばなのゆきひら るようす。 ったりした。 はんでん だいちょう こせき けいちょう 班田が行われなくなり, 課税の台帳となる戸籍· 計帳も作成がとだ 見地には赴任せ 三受けとること。 は、受領も交替 二行かなくなり. 現地の有力者 マ治を任せるよ 2 こく が6 →p.28 えたため,10世紀ごろから, 国術では, 方法をかえて課税するように くぶんでん こう ち なった。まず,ロ分田などの公地を, 期間を定め耕作を請け負う有力 たと みょうでん みょう な農民(田堵)の名前をつけた田(名田,名)ごとに区分し,この田を単 そ ちょう よう ぞうよう 位に,租,調 庸, 雑鑑にかわる, 新しい形で課税した。こうして, →p.29 りつりょう 一紀初めには全 れなくなった。 三初めまで作成 , 女性ばかり 三態とかけはな 課税の対象は,律令体制下での人(成年男子中心)から, 土地(名田中 心)へと移っていった。 15 ふろうにん 有力な農民(田塔)は, 一族とともに農民や浮浪人を使って周囲に撃 でん 田を広げ,広い地域を支配するようになった。受領のなかには, 自己 かこく ちょうぜい →p.56 の収入を増やすためもあり, 過酷な徴税を行った者も多かった。その た。 平安時代以降 ようになる。 ぐん じ ため,郡司や有力な農民は, しばしば受領と衝突し, 10世紀後半から 11世紀にかけて,協力して受領の圧政を政府に訴えることもあった。 あっせい け負う有力農 ニれた。また, k, 当時, 官 20 地方で争乱がおきると, 政府は中央の下級貴族や, かん 武士の誕生 つい ぶし6とうよう おうりょう し ちんあつ よばれた。 地方の有力者を押領使や追捕使に登用して鎮圧 受目であった ら常置とな ち あん しへい し,治安維持にあたらせた。彼らは私兵をひきいてこれにあたり, そ の地方に勢いをのばしていき, やがては都で内裏や貴族の邸宅の警備 じょうち だいり ていたく たきぐち 式士を滝口と も行うようになった。 こうして朝廷の武力としての武士が誕生した。 国家の形成と貴族文化の誕生 しあげる)、 の稲〈正税》 の内に収 稲の出挙) 無きに依一 U事..………… 八日 ·百姓等 し、政府の 郡内の徴税 国司から任

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日本史 高校生

(1)の4、(2)の1と4、(3)の②、(4)、(6)の1、2、3、4、(8)が分かりません💦 お願いします!

10 院政と平氏の台頭 ちょうじゅう ぎが 「鳥獣戯画」(鳥獣人物戯画巻) 鳥羽僧正覚獣の筆といわれる4巻からなる絵巻物で,京都高 わる。調書がなく全巻墨書。動物を擬人化して貴族や僧の社会を ている。明治時代までは, 実物を手に取って見ることができたとい とばそうじょうかくゆう こうぎん ことばがき すみがき S1 -院政 次の文を読み, 系図を見て,下の問いに答えなさい。 31 すとく にじょう ろくじょう ア 崇徳 二条 -六条 |ア イト ほりかわ たかくら 高倉 あんとく 堀河 ウ エ 安徳 イ このえ ごとば 近衛 後鳥羽 ウ おおえのまさふさ 摂関家を外戚としない[ア天皇は,大江匡房らを登用し, イ天皇は[ア天皇と同様に親政を行った後,1086年に8歳の堀河天皇に譲 位して,上皇(院)として院庁をひらき, は,富裕な受領や乳母の一族などから構成される院近臣で,院司として奉仕 した。また,イ]上皇は( 1 )をおいて院の御所を警備させた。 イ」 ウエの3上皇はあつく仏教を信仰した。出家して( 2 )とな り,c造寺·造仏や紀伊の( 3 ), 高野詣をしばしば行ったので,費用調達 のため売位売官が盛んになった。この頃,上級貴族に一国の支配権を与える ( 4 )の制度や院分国の制度が広まり, になった。多くの荘園も院政の経済的基盤となった。また, 大寺院も荘園を 多数もち,。下級僧侶は僧兵となって国司と対立したり,朝廷に強訴するなど した。朝廷や貴族は, これらに対する ,鎮圧や警備を武士にまかせたため, 武士が政界に進出するきっかけとなった。 (1) 系図·文中のア~エに適する人物名を書け。 (2) 文中の( )に適する語句を書け。 (3) 下線部aについて, 右の史料を読んで, 次 の問いに答えよ。 0口にあてはまる語句を書け。 傍線部の正式名称を何というか。 3 [ア天皇が制定した研を何というか。 (4) 下線部bのもとで, 効力をもった文書を2 つ書け。 が (5) 下線部Cについて, この頃つくられた「勝」がつく寺院の総称を書け。 (6) 下線部dについて, 次の文中の( )に適する語句を書け。 11世紀半ば,荘園·公領(国衝領)では名が大部分を占め,名を請け負っ た田堵は,権利を強めて( 1 )とよばれた。彼らは( 2 )などの隷属農民 や作人といわれた農民などに名を耕排作させ, 革責·( 3 )·夫役などを領主 におさめた。また, 公領は郡·( 4 )· 保などの単位に再編成された。 (7) 下線部eについて, しばしば強訴を行った南都·北嶺のうち,南都とは どこのことか。また, 北嶺の僧兵がかついだ神輿はどこの神社のものか。 (8) 下線部fについて,瀬戸内海の海賊鎮圧でウ上皇が重用した平氏は誰か。 改革を進めた。 a ほりかわ エ じょうこう いんのちょう 院政を開始した。院政を支えたの いんのきんしん 1 ずりょう めのと b いん し 2 3 きい こう や もうで C 正いいばいかん 4 いんぶんこく 公領は院や国司などの私領のよう の ごう そ e 御: 1 2 ます 2 3 ノル 領 4 こく が みょう 南都 たと 神社 さくにん ねんぐ ぶやく なん と ほくれい しんよ |の 5 … Dノ記録所トテハジメテ { ラカレタリケルハ、諸国七道ノ所領 *yS 一事、……スナハチ宇治殿ノ時、一ノ {所ノ御領御領トノミ云テ、圧園諸国一 ニミチテ受領ノツトメタへガタシナ {ド云ヲ (「愚管抄」)

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