|飢僅が相次いでおき, 管領家や将軍家での家督争い, 幕府の実権を握ろうとする相
いた。1477年に両軍の間に結ばれた和議の後も, 争乱は全国に拡大し,幕府体制
6代将軍の足利義教は,将軍権力の強化をはかり,専制的な政治を行い,守前
)がおき,これ以降,将軍の権威は大き
)と。その夫人の時代になると, 徳政を求める土一換
55 幕府の動乱と応仁の乱
次の文章の(
)に語群より適語を選び,下の問いに答えよ。
)を関東管領の
は,幕府に反抗的な鎌倉公方の(2
打ち滅ぼし,その後も有力守護大名を討伐したが,1441
上杉憲実と組ん
年に播磨の守護であ。
)に殺害される(4
ゆらぎ,不安定な時代となっていった。
8代将軍の(5
まで
時業の
Rけされ
は
の崩壊,荘園制の解体がすすみ, 約100年にわたる戦国時代が始まった。
がえ
になり。
く語 群>
足利義政
足利持氏
赤松満祐
かきつ
永享の乱
嘉吉の変(乱)
り
下線部@について, この人物は 「坂東の大学」と呼ばれる学校を再興したが、
その学校を何というか。
問1
この
に
問2
下線部6について, この夫人は誰か。
問3
下線部© について,
その
① 将軍の弟足利義視と将軍職の後継を争った将軍の子は誰か。
② 家督争いがおきた管領家は畠山家と何家か。
③ 絵巻「真如堂縁起』の下の場面には, この乱で注目されるようになった者たち
が描かれている。 彼らを何というか。
0F
問4 応仁の乱の影響として, 適当でないものを次より1つ選べ。
ア.守護大名が京都に出陣している間に, 守護代や国人が力を伸ばすようになり
た。
イ、将軍の権威が低下し, かわって朝廷の権威が増すようになった。
ウ.下鬼上の風潮朝が強まり, 国一接が結ばれる地域も増えた。
エ.戦乱を避けた公家や僧侶により, 文化の地方普及がすすんだ。
問5 下線部Oについて, 東軍と西軍の総大将をそれぞれ姓名で答えよ。
56 密薬
HOぞ
定でけ
えな。
なった。