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世界史 高校生

画像の色をつけた部分の問題が調べても分かりません。 1問でもいいので分かる方教えてくれるとありがたいです。

次の資料1は、17世紀末にプロイセン国王が建造したシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」で ある。ここに集められたようなアジアの陶磁器は、ヨーロッパの人々を魅了し、大変流行した。 資料2は, 日本からヨーロッパに輸入された伊万里焼の皿である。 17世紀なかばに中国から陶磁器が輸入できなく なったため,かわりに日本の伊万里焼がヨーロッパに輸入されるようになった。 【資料1】 ATHL EP 1 中国の陶磁器や日本の伊万里焼は,どのようにしてヨーロッパに運ばれたのだろうか。 EP2 なぜ17世紀なかばに, 中国から陶磁器が輸入できなくなったのだろうか。 次の資料12は, 18世紀におけるヨーロッパの思想家が,同時代の中国をどのようにとらえて いたかを示したものである。 【資料1】 ヴォルテールの見方 じゅきょう 儒教はじつに素晴らしい。 儒教には迷信もな ぐれつ いし、 愚劣な伝説もない。 また道理や自然を侮 辱する教理もない。 ・・・ 他国においては法律は罪 ちょうばつ ぜんこう 悪を懲罰するにとどまるが, 中国の法律は善行 ほうしょう。 じんち、 に褒賞を与える。 ・・・人知は中国の政治以上に優 良な政治組織を案出することができないに違い ない。 ・・・このような実例に接し, わがヨーロッ パの君主はいかにすべきであろうか。 賞賛せよ, せきめん もほう 赤面せよ, そしてなによりも模倣せよ。 【資料2】 (神戸市立博物館蔵) (尾形勇ほか編『中国史」) 【資料2】 モンテスキューの見方 共和国においては徳が必要であり、君主国において 「めいよ は名誉が必要であるように, 専制政体の国においては きょうふ せんきょうし。 「恐怖」が必要である。 ・・・わが宣教師たちは,中国とい う広大な帝国を感嘆すべき政体、 その原理のなかに恐 怖と名誉と徳を混ぜ合わせた政体としてわれわれに 語っている。 …中国は専制国家であり、その原理は恐 怖である。初期の諸王朝においては, 帝国はそれほど 広大ではなかったから, おそらく政体はいくらかこの 精神から外れていた。 しかし,今日ではそういうこと はない。 (野田良之ほか訳「法の精神上」) STEP 2 ヴォルテールは中国のどういった面を賞賛しているのだろうか。 STEP 3 モンテスキューは中国への評価を通じて何を批判したかったのだろうか。 STEP1 ヴォルテールやモンテスキューの思想は,どのような特徴をもっていたのだろうか。教科書 p.27 をふりかえって確認してみよう。 Try アジアの物産や制度がその後のヨーロッパの産業・制度に与えた影響は何だろうか。 さらに、 れは現在の世界にどう生きているだろうか。考えて話し合ってみよう。

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世界史 高校生

すんごいお願いします!! 問1〜5を教えてほしいです。 1〜15の答えはこれらだと思います! 1 チャンドラグプタ 2 マウリヤ 3 アショーカ 4 ダルマ 5 クシャーナ 6 カニシカ 7 大乗仏教 8 ガンダーラ 9 グプタ 10 チャンドラグプタ2世 11 ナー... 続きを読む

【4】 古代インドの王朝について、空欄に適切な語句を記入し (「知」)、 問いに答えなさい。 前317年ごろ、マガダ国の武将 (①) が (②) 朝をたてた。 (①) は西北インドのギリシア勢力を 一掃し、アフガニスタン東部も確保した。 また、 デカン高原にも支配を広げ、インド史上最初の帝国 が形成された。 第3代 (③) 王の時代に最盛期に達し、 南端部をのぞく全インドを支配した。 (③) 王 は仏教への帰依を深め、 不殺生や慈悲など守るべき社会道徳 (④、 法) を説き、 詔勅を刻んだ磨崖・ 石柱を各地に作らせた。 また、 仏教教団を厚く保護し、 仏典の編集 (仏典結集) やスリランカ布教を 援助した。 しかし、 (③) 王の死後まもなく帝国は分裂した。 1世紀に、大月氏から自立したイラン系の (⑤) 人が西北インドに (⑤) 朝をたてた。 2世紀の (⑥) 王の時代に中央アジアからガンジス川流域まで支配し、東西交易で栄え、国際色豊かな文化をうんだ。 前1世紀ごろ、 A大乗の改革運動がおこり、 2~3世紀に体系化された。 (⑥) は (⑦) を厚く保護 した。 ギリシア式彫刻の影響を受けた (⑧) 美術とともに (⑦) は中央アジア、東アジアに広がった。 4世紀はじめ、マガダ地方でチャンドラグプタ1世が (⑨) 朝をたてた。 第3代 (⑩) は、 北イン ドの大半を支配し、南インドにも進出した。 (⑨) 朝時代には、インド固有の宗教としてBヒンドゥ 一教が確立し、 インド古典文化が完成期をむかえた。 5世紀にたてられた (⑩) 僧院は、 教学の中心として発展した。7世紀前半にインドを訪れた (⑩) や7世紀後半にインドを訪れた (13) は、 ここで学修に没頭し研鑽を積んだ。 仏教美術では、 (⑧) 様 式とは異なる 「 (⑨) 様式」 が完成した。 日本の (14) 金堂壁画は (⑨) 様式の影響を明示するものと して有名である。 数学・医学・天文学なども発展し、インド数字 十進法 (15) の概念は、イスラー ム圏を通じてヨーロッパに伝わり、 近代科学の発達に貢献した。 7世紀前半、 ハルシャ=ヴァルダナが北インドを統合した (ヴァルダナ朝) が、 王の死後王朝は崩 壊した。 その後、北インドは8世紀から13世紀まで、ヒンドゥー国家が分立抗争する時代になった。 問1 下線部Aの内容を、 それ以前とのちがいをふくめて説明せよ。「思」 問2 下線部Bを50字程度で説明せよ。 「思」 問3、東南アジアにおける、 ア. 中国文化、イ.インド文化の影響を示す例を1つずつ書け。 「知」 問4、東西の交易を説明するときに重要だと考える語句を4つあげよ。 「思」 問5、ア.東南アジアに現在ある世界遺産を1つあげよ。 イ. アがある国名を書け。 「知」 ●

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