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日本史 高校生

問5が分かりません。教えてください。

展の一方で,幕府の政権運営は危機的状況に陥っていた。 その原因が, 御家 つの 人の窮乏であった。幕府は, 窮乏した御家人を救うために 永仁の徳政令を発 令したが、効果は一時的で御家人は幕府に不満を募らせた。 しかし、一方では 経済発展を利用して勢力を拡大する ( 7 ) とよばれる武士も現れ, 武力で 荘園領主に抵抗した。 問1 下線部aについて ① 鎌倉時代に普及した 肥料を2つ答えよ。 また, ②どのような農具 が普及したか答えよ。 流石 御し 人或 いを券ん A り条 至従 べ後家所 むはし 人或領質 問2 下線部b に関する次の文XYについて その正誤を○×で答えよ。 し本以 今は以 主 前 売で さんさいいち 国買或 みせだな (「東寺百合文書」) せ はじ の停基る ~質券(入れ)売買地の事 多分止なの入 X 月に3回実施された三斎市では,元の銭貨 が使用された。 Y 京都 奈良では,見世棚という小売店が常 ・ 設された。 問3 下線部Cが結成した同業者団体を何というか。 問4 下線部について, 御家人が窮乏した3つの要因を簡単に答えよ。 問5思考 下線部eについて, 史料Aは永仁の徳政令の一部であるが,この法令 の要点を史料から読み取り, 30字以内で答えよ。

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日本史 高校生

すみません!大至急です!! これの答えを教えてください🙇🏻‍♀️

21 りつりょう 794年に(1)から平安京に遷都した箱 室生寺盗 室生寺は真言宗の寺院で、地形に応じた自由な伽藍配置をもつ 寺の五重塔は、 屋外の五重塔としては最小のものである。 また ては、金堂釈迦如莱岦像や釈迦如来坐像などがある。 平安初期の政治 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 あん 21 武天皇は、律令制の再建に努めた。 I 1 勘解 飛 鳥 はんでん ぞうよう 使を設置し, 班田の期間を一紀 (12年) - a 難に改め、雑搖を年間60日から30日に減じ 667年 大津宮 645年 654年 難波宮 -2 3 た。 また, 一部の地域を除いて軍団を廃止 し,(2)を採用して、 郡司の子弟らに国 府の守備などを担当させた。 さらに天皇は, ぐんだん A 飛鳥浄御原宮 ぐんじ 14 694年 藤原京 740年 恭仁京 (1) えみしせいとう b (3)を派遣した。 蝦夷征討に力を入れ,征夷大将軍として ↓710年 744年 B 平城京 難波宮 -5 -6 784年 さが 嵯峨天皇も桓武天皇の改革を継承し, 律 (1 745年 744年 C 紫香楽宮 -7 令制の再建に努め, (4) に際して(5) 794年 18 くろうどのとう を任じた蔵人頭や,都の治安維持や裁判 のために設けた ( 6 )など, 令に規定の ない新しい官職を設けた。 さらに法制の整 備を図り, つぎつぎと出された格や式を, D平安京 ← 福原京 1180年 d II 丹 き 近江 A -B きゅく しき 221 10 (7) 格式として編纂した。 その後, 貞 摂津 . 延喜格式が編纂され,また, 公式に令 の解釈を統一した 『(8)』 も編纂された。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 右のⅠの宮都変遷図のA~Dの位置を Ⅱの地図中のあ〜けからそれぞれ選び, 記号を書け。 (3) 思考 桓武天皇が下線部aを設置した目 的は何か。 当時の地方政治の問題点にふ れて,簡単に書け。 (4) 下線部bについて, 次の問いに答えよ。 ちんじゅ ① 右のⅢの地図のアには802年に鎮守 府が置かれた。 アの城の名を書け。 ② 鎮守府はアに置かれる前は,イに置 かれていた。 イの城の名を書け。 (5) 下線部cを長官とする役所を何という か。 (6) 下線部dを何というか。 III 和泉 河内 秋田城 733 おがち 雄勝城 759 いわらね 伊賀 うえ ■え 大和 志波城 1803 伊勢 3 (4) D (5) (6) (7) ぬたり 渟足柵 (8) 647 0 舟柵 648 キ (7) 文中 (7) 貞観延喜格式の3つを総称して何というか。 ちょくえいでん 8)9世紀に財源確保のため、大宰府管内に置かれた直営田を何というか。 16 T @ は

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日本史 高校生

この後三条天皇の話から延久の荘園整理令から最後まで全く理解できなくてわかりやすく教えてくださる方がいるとありがたいです。 今週定期テストなんですけど流れや理解できないと暗記できなくてすいません🙇🏼‍♂️

公領主 No.0501 院政と平氏の台頭 (1) 教科書 p.76~80 年組 番名前 (1) 後三条親政 藤原氏のいうこときかなくてもいい 天皇 後三条天皇 母方のおじいちゃん と 即位(1068 年)摂関家(藤原氏)を外戚とせず ※大江匡房らを登用し, 自由な立場で政治を刷新 本家 えんきょう 朝廷 (本所) 2延久の荘園整理令 (1069年) 国司 ○内容 きろく しょうえんけんけいじょ 「目代 在庁官人 3 記録荘園券契所 郡司司保司 領家 所 預所代 下司・公文 (記録所)を設置,審査 名主 百姓 (田) 下人所従 在地領主 ate ( ・寛徳2年(1045年) 以後の新立荘園停止 同年以前の荘園でも,国務の妨げとなるもの, 立券不明なものを停止 いわしみずはちまんぐう ※摂関家の荘園も整理の対象とする徹底した整理 例: 石清水八幡宮領13カ所を停止 →①かなりの成果をあげ、国衙領が回復, ②荘園公領制が成立 せんじ ます 4宣旨升 しょうえんこうしょうせい の制定・度量衡の統一 ④荘園公領制・・・荘園と公領(国衙領) が並立する土地領有の体 ○公額(国衙領)・郷・保に再編→荘園と並ぶ所領単位に 個人の土地 図の土地 15 ぐんじ ごうじ ほし ◎国、都里(奈良時代) 国、郡郷保 →国司が開発領主を郡司・ 郷司・保司に任命、徴税を請け負わせる みょう ○荘園・公領の内部構造… 名が耕地の大部分を構成→田堵など有力農民に割り当てる →田堵がしだいに権利を強めて →作人や下人に耕作させ、年貢・公事 夫役を領主へ納入 (2) 院政の開始と展開 ちてん きみ • 5名主 ・農民のこと となる 後年、公事、夫役 院をスタート 1086 ①院政時代・・・上皇は治天の君とよばれ、実権掌握 O ○ しらかわ (院政 1086~29年)…堀河天皇に譲位,政務後見 (1086年) 6 白河上皇 7 鳥羽上皇 (院政1129年~56年) 8 後白河上皇 (院政1158~79年、1181~92年) (=院政の開始)

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