aル明(a)
= 次の文章は、江戸時代に琵琶湖畔に住んでいた食通、北村祐庵についてのエピソードである。これを読み、後の問に答えよ。
(祐庵は北村氏,つね阪僕をして、湖中の水を汲ましめて、茶の水に用ふるに、 某 の所と令す。其の指す所にあらざるを汲
み来たれば、必ず又其の所を知ること神のごとく、終に欺くことを得ず。魚鳥の得る所を知るも、またがくのごとし。しかのみ
ならず、因る人豆腐の串に貫きたる)俗に田楽といふ。食はしむるに~此の串の竹は遠く来たれるもの也、といふ。主も知ら
祐に食はさセえ
ず、厨下にとひしに、浪花より物を荷ひ来たる竹をもて削りがり、といひしなどは、奇といふも余あり。又或る家にて、砕菜の
美を出せしに、此の薬は男のたたきし也、といひしかば、厨四にとふに然り。是はいかにして知り給ふや、と問ひしに、男のた
たきしはあらし。因力能是にかなへり。必ず依にせさせ給へ、といひしとぞ。かかれば人に物を饗すること必ずつっつしめり
所がら湖中の鯉鮒の類を調ずるに、魚板数枚を用ゆ。はじめ 鱗 をはなつより、肉を切るにいたるまで、次を追ふて板を転ず
な ー
3B
3A
注二
たたき な
る。
LG
あへ
さこ。
かくせざれば、うっり香ありて
Eへ、といふに、さらばいくかに、と契りて帰る。其の日閥人の至る時、其の門鮒数十を取り入るるを見るに、食につきて出した
といへり。一日京師にて、茶事の因にあひたるに、名にしおふ源五郎鮒食はせ繁
6A
る所、はつかにして
みたまふ所の源五郎助の真なるものば、数十の内にて一二を得がたし、といへりとなん。
8人あやしみ
30
さリもあまた取り入れ給ふと見しに、是はいかに、といへば、国笑ひて、望
6B
(『近世崎人伝』より)
注
大阪
た
注1 案の黄語
野菜の吸い物
京都