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現代文 高校生

解答が無く、正解が分かりません。 問3.4.5の解説と答えが欲しいです(;_:)

RECE E.F 文学とは何か 加藤 文学評論 文は描くものですが、必ずしも目に見えるものを目に見えるように描くものではあり ません。もし目に見えるように描くことが目的であるとすれば、どのような散文も、フロベー 文でさえも、ありふれた映画の一場面に及ばないでしょう。 「感情教育」のポウト がどんなにいきいきとセーヌ河の風景を描いているにしても、その風景は、目に見える ようであって、目に見えるのではありません。ところが映写幕の上には、見えるような風景 5 ではなく、実際に見える風景があらわれる。 映画の魅力はそこにあります。 もし小説の魅力 に⑩ヒッチキすることはできない。客観描 同じ性質のものであるとすれば、小説が映画に は、それが目に見えるものを目に見えるように描くということを意味するかぎり、可能で あるにしても、小説的表現の素材(言葉)にふさわしい方法ではありません。言葉には意味 があります。意味は想像力に訴えます。写真は、目にうつる一切のものを記録します。 記録 1 は感覚に訴えます。 セーヌ河の風景を客観的に再現するという目的は、写真という表現手段 にふさわしく、言葉という表現手段にふさわしくないということができるでしょう。逆に、 セーヌ河の風景をながめる青年フレデリック・モローの感動を再現するという目的は、言葉 にふさわしく、写真にふさわしくない目的です。小説における散文は、まず主人公の感動を その感動のなかに誘いいれながら、その感動を通じて周囲の風景を想像させよ 5 うとするときに、独特の能力を発揮します。 その逆の手順をふむときに、たとえばセーヌ河 の風景の客観的描写からはじめるときに、散文はその無能力を暴露します。これが、小説に 散文を、その描く対象の側から考えてみるときに、当然見いだされる原則です。しか し、もういちど、散文を描くという機能の側から考えてみると、小説における、または文学 における散文の性質とは、どういうものでしょうか。 散文における言葉は、ある対象の符号 20 ですが、具体的な特定対象の符号であるのは、固有名詞だけです 「東京」という町は、世 界中に一つしかない)。しかし普通の言葉は、特定対象の属する群の符号である(「町」は、 東京だけでなく、他にいくらでもあります)。言いかえれば、特定対象を名づけるというこ とは、一般に、その対象を分類することです。 分類のしかたは、たくさんあります。一杯の コーヒーという特定対象をわれわれはコーヒーという言葉でわす「コーヒー」として分 4 類することもできるし、飲物、ヨウエキ、物質等の言葉で表現する(そういうものとし て分類する)こともできます。 どういう分類のしかたを採用するか、すなわちどういう言葉 ぶかは、われわれ自身が、われわれとその対象との関係に応じて、決定する他はないで しょう。言葉による表現とは、われわれと対象との関係を限定することであり、逆に、その ような限定を伴わずに言葉で何ものかを表現することはできません。言葉によって世界を描 くということ、つまり散文をつくるということは、本質的にわれわれと世界との関係を限定 することである。あるいは、われわれにとっての世界を定義することである。日常的会話は、 日常生活の約束と習慣にしたがって世界を定義します。 文学的散文は、日常的定義とは異 なる独特の定義によって世界を成立させるものでなければなりません。 小説文を読むと そのことにほかならないでしょう。フロベールは、そのことを意識せずに、 客観描写という方法論を発明しましたが、 そんなことが完全に実現されることは決してない ので、彼の作品も彼の方法論を裏切っています。 逆説的にいえば、裏切ることそのことによ 文学として成立しています。 それは、そのはずであって、主観をまじえずに、革命の情 景を描写するというようなキョクタンな場合を考えてみれば、明らかにわかることです。 ある人は、パリの人民大が第二帝政を打倒したと書きます。 中を騒がせたと書きます。 「人民大衆」という言葉も「不足の輩」という言葉も、単に客 ます。またある人は不起のが世の 観的な対象を示すのではなく、その人と対象との関係を示すものです。世界を定義せずに、 何事かを言葉で表現するということが、そもそも不可能である。作家の責任ということもそ 白梅図 文化論 →評論・随筆・小説 →詩・和歌・短歌歌 Aではなとうっと 問四 B ( こから出てくるわけで、世界と自分との関係を定義するその定義のしかたの責任を、あらゆ 作家が負っているということになります。 それでも、客観描写ということが成り立つとすれば、それは意味づけのしかたそのものに、 一定の約束があり、個人的主観によってその約束が破られないという場合でしかないでしょ う。たしかに、科学者はそういう約束をもっています。解剖学教科書のジョジュツなどは その意味で客観的であり得ます。しかし小説家にはそういう約束がない。 対象が人生である 場合にそんな約束はあり得ません。「人生襲」というものはない。人それぞれにとって「わ 傍線部~の片仮名を漢字で書け。(5点×5=25点) ) ( 人生観」があるだけです。 「文学とは何か」 角川新書による) 問一 ⑩(目頭 (溶液) ⑥(極端)(敘述 問二 部とあるが、本文中にはこれと同一の内容を端的に表現した言葉がくり返し使 われている。これ以降から抜き出して書け。 (1点) ) 問傍線部とあるが、この内容を説明している部分を本文中より五十二字で抜き出し、 最初と最後の三字を書け。(句読点も一字に含む) (10点) 傍線部 とあるが、 「日常的定義とは異なる独特の定義」とは何か。本文中の筆者の 論旨にしたがって、六十字以内で書け。(句読点も一字に含む) (10点) ・ 問傍線部とあるが、ここでいう「対象」とは、具体的には何を指すか。また、そ の「対象」を描くにあたって、「人民大衆という言葉」を使った場合、「不退の輩と いう言葉」を使った場合、それぞれ書き手と「対象」 とのどのような「関係」がそこに示 されているのか。簡潔に説明せよ。 (1点×3=4点) FO (RACEPT 粉に ) ) )

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現代文 高校生

ここの質問知りたいです。

■第2回 文章表現の力 月 日( 第2回 ~19 文章表現韻文・文学史・文法の力 次の文章を読んで、後ろの問いに答えよ。 句読点による意味の違い(5点×4) ちかまつもんざえもん じゅずや せっせと句読点を打つ近松門左衛門に、数珠屋が「句読点かいな、い らんこっちゃ。」と言った。二、三日後、数珠の注文が門左から届いた。― 「ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず」 数珠屋は「二重に曲 げて首にかけるような」とは、随分(A) 数珠を欲しがるものだ と、早速そんなのを一つこしらえて持たせてやった。すると、門左は 注文書に違うと言って押しかえして来た。 数珠屋は蟹のように(B しわくちゃな注文書をつかんで門左のとこに出掛けた。門左は じろりとそれを見て、「どこにそんなことが書いてあるな、二重に曲 げ手首にかけるような、とあるじゃないか。 だからさ、浄瑠璃にも句 (薄田泣菫『茶話』) 読法がいるというんだよ。」 かに じょう すずきだ きゅうきん 2 ② ① きみはしらないのですか。 きみはしらないのですか。 かれは会社にはいらない。 かれは会社にはいらない。 警官は血まみれになって逃げる犯人を追った。 警官は血まみれになって逃げる犯人を追った。 次の文は、句読点の打ち方によって二通りの意味になるものである。 読点の位置を変えて意味の異なる二つの文を作れ(読点は各文に一つ)。 句読点による意味の違い(5点×3) 次の各文について、後ろの( )内に指示された数の句読点をつけよ。 句読点を打つ(5点×3) ある日の暮れ方の事である一人の下人が羅生門の下で雨やみを待 っていた広い門の下にはこの男のほかに誰もいないただ所々丹塗り げにん らしょうもん だれ まるばしら 剥げた大きな円柱に蟋蟀が一匹とまっている (句点4・読点5) ②道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ雨 あまぎ 問1( )Aに入る適当な形容詞を答えよ。 問2 (Bに入ることばとして、適当なものを次から選び、記号を○で囲め。 イ固くなって ア横に走って ウ真っ赤になって 問3 二人は、それぞれ、注文書のどこに読点を置いているか。 それぞれの文に 読点を打て 138 近代文学夏目漱石 (2点×10) ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず。 ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず。 なつめそうせき 夏目漱石についての次の文を読んで、後ろの問いに答えよ。 高浜虚子の勧めで、雑誌「ホトトギス」に風刺小説『 を発 小説家となった。松山中学に奉職した経験に基づく「 (A)の世界を求めて旅を続ける青年画家を描いた『草枕』を執 』や 筆し、反自然主義に立った。その後、三部作『三 2 727 5 脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さでふもとから私を追 はたち 2 って来た私は二十歳高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物に (2) 学生カバンを肩にかけていた ③ 私が自分に祖父のある事を知ったのは私の母が産後の病気で死に ばんのよう ふたつき 20 その後二月ほど経って不意に祖父が私の前に現れて来たその時であ (2 むっつ った私の六歳の時であった 次の俳句の季節を答えよ。また、解説を後ろから選び、記号で答え 近代(2点 411 ①万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村田野 AL ② あはれ子の夜の床の引けば寄る 中村 ) ( <-18

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現代文 高校生

2枚目P22ページの例えば、から何言ってるのかわかりません。 現代文得意な方詳しく説明願います

がした 可能 いわ * いや生全体に 二〇一七年度 第 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。 与えられた困難を人間の力で解決しようとして営まれるテクノロジーには、問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発 によって解決しようとするというかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。 科学技術によっ て産み落とされた環境破壊が、 それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染 防止のためのワクチンに対してウィルスがタイセイを備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のよう に耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜二二メートルの防波堤を築くことに よって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開に はたして終わりがあるのだろうかという気がした。 技術開発の展開が無限に続くとは、たしかにいい切れない。 次のステージにな にが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれども科学技術の展 開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある。いったいそれはなんで あり、世界と人間とのどういった関係に由来するのだろうか。 けんいん 医療技術の発展は、たとえば不妊という状態を、技術的克服の課題とみなし、人工受精という技術を開発してきた。その一つ体 外授精の場合、受精卵着床の確率を上げるために、排卵誘発剤を用い複数の卵子を採取し受精させたうえで子宮内に戻す、といっ たことが行なわれてきたが、これによって多胎妊娠の可能性も高くなった。 多胎妊娠は、母胎へのフィジカルな影響や出産後の経 済的なことなど、さまざまな負担を患者に強いるため、現在は子宮内に戻す受精卵の数を制限するようになっている。だが、この 制限によっても多胎の「リスク」は、自然妊娠の二倍と、なお完全にコントロールできたわけではないし、複数の受精卵からの選択、 また選択されなかった「もの」の「処理」などの問題は、依然として残る。 いろう いずれにせよ、こうした問題に関わる是非の判断は、技術そのものによって解決できる次元には属していない。体外授精に比し より身近に起こっている延命措置の問題。 たとえば胃瘻などは、マスコミもとりあげ関心を惹くようになったが、もはや自ら食 事をとれなくなった老人に対して、胃に穴をあけるまでしなくても、鼻からチューブを通して直接栄養を胃に流し込むことは、か なり普通に行なわれている。このような措置が、ほんのその一部でしかない延命に関する技術の進展は、以前なら死んでいたはず の人間の生命をキュウサイし、多数の療養型医療施設を生み出すに到っている。 しかしながら老齢の人間の生命をできるだけ長く引き伸ばすということは、可能性としては現代の医療技術から出てくるが、現 実化すべきかどうかとなると、その判断は別なカテゴリーに属す。「できる」ということが、そのまま「すべき」にならないのは、 核爆弾の技術をもつことが、その使用を是認することにならないのと一般である。 テクネー (TEX(VM) である技術は、ドイツ語 Kunst の語源が示す通り、「できること(können)」の世界に属すものであって、「すべきこと (sollen)」とは区別されねばならない。 テクノロジーは、本質的に「一定の条件が与えられたときに、それに応じた結果が生ずる」という知識の集合体である。すなわ ち、「どうすればできるのか」についての知識、ハウ・トゥーの知識だといってよい。それは、結果として出てくるものが望ましい かどうかに関する知識、それを統御する目的に関する知識ではないし、またそれとは無縁でなければならない。その限りのところ それが単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。 では、テクノロジーは、ニュートラルな道具だと、いえなくもない。ところが、こうして「すべきこと」から離れているところに、 ほうてき テクノロジーは、実行の可能性を示すところまで人間を導くだけで、そこに行為者としての人間を放擲するのであり、放擲され た人間は、かつてはなしえなかったがゆえに、問われることもなかった問題に、しかも決断せざるをえない行為者として直面する。 妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非 を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。いわゆる「新型出生前診断」 3限目 問題文

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現代文 高校生

至急!全部分かる人いたら教えてください💦

主語と述語を対応させる 作文の基礎 0 次の文は語の対応関係が乱れている。きちんと整うよう、 部を書き直しなさい。 遠くの海が展望台から見る。 見える 彼の目標は全国大会で優勝したい。 前回の生徒会は各委員会からの提案が行われた。 することだ 新製品の売り上げが評判も上々なので期待している。 ③議長の要求は、第三者の意見を聞きたいと言っている。 ⑥石川啄木の短歌をよむと故郷を思い出されます。 ⑥私の願いは日々平穏に暮らしたい。 ⑥弟の長所は初志貫徹で物事をやりとげる。 2 次の文の主語と述語が対応するよう、アイ二通りの方法で 書き直しなさい。 ①私の希望は勉強と部活動を両立したい。 ア私の希望は ②朝の日課は一時間走ることが日課だ。 ア朝の日課は ③首相の発言は強い意志を感じた。 ア首相の発言は おかし ③同じ絵を二枚も買ったのは、二人の妹が欲しがっていた。 浮世絵は西洋への輸出品の緩衝材として使っていた。 わが社では海外進出を本格的に検討されている。 ②大事なのは初心を忘れないことが大事だ。 この催しの良さは外国人との交流を増やしました。 次の文の内容を変えないよう、書き出しに続けて書き直しな さい。 ①正岡子規は野球用語を日本語に訳した。 正岡子規によって したい。 ②机の上にあるのは彼女が撮った写真だ。 机の上には ③姉は市役所に勤めている。 姉が ④この本は平易な言葉で書かれている。 作者は ⑤弟子たちは孔子から「仁」の心を学んだ。 ⑥予報によると明日は大雪になるそうだ。 予報は ⑦地元の人は富士山が見えると言っている。 孔子は 感じた。 ④伊勢物語には「男」の生から死までが描いている。 ア 伊勢物語には 描いている。 地元の人によると

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現代文 高校生

高一 現代の国語 「暇と退屈の論理学」という教材をやっています 「現代」や「現代社会」はどのようなものか。筆者の考えを踏まえて、説明してみる。 説明お願いします!

こくぶんこういちろう 暇と退屈の倫理学 國分功一郎 → 関連教材 「多層性と多様性」(二 六三ページ) 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。 その余裕には少な くとも二つの意味がある。 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手 に入れる。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全 ての時間を割く必要がなくなる。そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってき たのだろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが 返ってきそうである。確かにそうだ。 金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あら ゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のこ とはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余 裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのよ うに考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。 その「好きなこと」とは何か。やりたくても できなかったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きて いる人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得し 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願い つつむかなわなかったことではない。 問題はこうなる。そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持って p いたのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世 紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 5 5 かすみ もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。 芸術家だって霞を *…(の)あかつきに(は) 霞を食う 127 暇と退屈の倫理学 読解編 126

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現代文 高校生

22〜24までの回答を持ってる方見せてください

ださい。 273 54 2 2 アムリタ ステップ3 基礎力を完成させよう 吉本ばなな 読解 「私」の胸に熱い塊をつくったものは何だ 課題 比喩表現から心情理解を深めよう 読標 目 (注) ある日、「私()」は階段から転落してしまう。病院で意識を取り戻した「私」であったが、記憶の一部を 失っていて駆けつけた母のこともよく認識できずにいた。そんな「私」の脳裏にひとつの記憶がよみがえる。 家で、母が泣いているときの記憶だった(うちってどこだろう、どの空の下の、どんな建物なんだろう? と思ったけれど)。涙の記憶、映画の回想シーンにフィルターがかかるように、記憶の湖の透明な水面から 浮かび上がってきた。祖父が死んだとき、たしかそうだった。 人の涙は本当に、あとからあとからあふれ て、ほほをつたって地面に落ちるんだ…と思った。 それから味。名前は思い出せなかったが、妹、という概念とともにあんまりかわいい子が浮かんできた 5 ので、私はそれを自分が捏造した妹かと思ってしまった。でもそれはたしかに真由の姿だった。妹の遺品 を整理しているときの、後ろ姿。 私が独り暮らしをしていたころ、恋愛に失敗して思わず電話で泣いてし まったとき、母がぽろっと言った言葉。「大変、 朔美が泣いてる。」私はあんまり泣かない子だったから。 ああ、こりゃ間違いないわ、お母さんか………傷つけちゃいけないな。 その思いだけが決してオカしては いけない何かとして真のように繰り返し、痛い頭にぼんやり響いていた。彼女は私がまだ麻酔でぼけて10 いると思っている。目の下に限があって、潤んだ瞳は私が無事に目覚めたことから喜びの水分をたたえて いる。......ことがわかった。こういう気の使い方で何とか生きのび、こういう気の使い方で疲れ果ててき たのだろう、と私はそのよく知りもしない「サクミ」という人の人生を思った。しかしそれも今日かぎりな のです 今からはいきあたりばったりにやってもらうほかありません。 と覚悟を決めた。 「お母さん。」と私は言った。 母がゆっくりうなずいた。うれしそうに、心をこめたうなずきかたで。そ15 して花嫁みたいに笑った。私は今、人がこの世で一番はじめに知る世にも暖かい単語を口にしたのに、何 だか結婚詐欺をしているちんぴらのように寒々しかった。頭が痛く、母という概念が濃縮された濃い濃い 汁になって脳みそにしみていくような痛さだった。しかし同時にその発音は、左胸の下あたりにほんのり と熱い塊をつくった。何なんだろう、と思った。 見れば真昼の病室、キョウレツに晴れた空が窓の外に見えた。私の記憶のようにすっからかんで、真っ 20 青だった。記憶はすぐに、あぶりだしみたいに徐々によみがえってきた。ただ、私と私の間の透明なはず ダラスに、まるで 別にいい がったときみたいに水滴がついてしまった。どうしても消えない。 )に線を引き、どのようなことを表現しているかイメージしよう→問五を攻略 ⑤5~4 ②ときの記憶 間 映画の回想シーンにフィルターが・・・ ―映画などの回想の場面で、映 像がセピア色やモノクロで映し出 されることをふまえてのたとえ。 真言 仏教の呪文。 要旨をつかむために! ▼空欄を埋めていこう 文章展開図 母が ・妹→(母の後ろ姿 ・電話→(母の言葉 3. ああ、こりゃ間違いないわ、 か・・・ →傷つけちゃいけないな 「」と私は言った 母 花嫁みたいに笑った 私結婚詐欺をしている ちんびらのよう 痛さ しかし同時に―― ほんのりと熱い塊をつくった 大きくとらえよう 【各1点】 のポ 戻 の涙の 兄 「 【各2点】 要約への第一歩 〇場面 意識を取り戻した「私」に、 んだけど。気にしてないけど。 ガイド 比喩表現(直 JO がよみがえる 問 漢字 傍線部~ ②について、 カタカナは漢字 で、漢字はその読みをひらがなで書け。 【各3点】 問五〇課題 傍線部 ③について、ここで「私」がこのよ うに感じるのは、なぜか。 母の様子をふまえて、 三十字以内でわかりやすく書け。 ○「私」の心情 その発音 を →ほんのり ステップ 20 問二語句 波線部A「捏造」の意味として、最も適切 〇場面 理解を深めよう 要約のための確認【各2点】 なものを、次から選べ。 【4点】 ⑦ とりつくろう 受け入れる →お母さんか 隠している でっちあげる 夢中になる 問六読解 本文において、「私」は、駆けつけてくれ た母にどのような気持ちを抱いたのか。最も適切 なものを、次から選べ。 状況 ぜ 【7点】 と 問三指示 傍線部①とあるが、「私」は、どのようなこ とを思い起こしたのか。二十字以内で書け。【6点】 ⑦ 愛情の深さを実感し、うれしくなっている。 親がそばにいてくれることに安心している。 花嫁みたいなその笑顔に、安堵している。 記憶にかかわらず、愛情が湧いてきている。 泣かせたことを後悔し、 申し訳なく思ってい 思い→「お母さん。」と呼びかけた 〇「私」の心情 あんど e 結婚詐欺のよう しかし、その発音→ 55 ステップ3 小説 問四表現 傍線部について、「私」の気づかいを説明 した、次の一文の空欄を補うのに適切な語句を、 は二字は九字で本文から抜き出して書け。 娘のに涙を浮かべる母親を、 る。 問七表現 二重傍線部XYの表現の効果の説明として、最も適切なものを、次から選べ。 ⑦「私」が、記憶を完全には取り戻すことができていないことを表現している。 痛みとともに、 各3点 ⑦「私」が、事故の前の自分と今の自分に違和感を抱いていることを表現している。 ①「私」が、急によみがえったさまざまな記憶に混乱していることを表現している。 「私」が、見通しの悪いまま病院生活を余儀なくされることを表現している。 M「私」が、記憶はあまり気にしておらず楽観的に考えていることを表現している。 【7点】

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現代文 高校生

高2の現代文です。『擬似群集の時代』で、写真の四角で囲んである「この特徴」は何を指しているか分かりません💦お願いします教えてください🙏🙏(2枚目が1つ前のページです)

いとき、必ずしもそれは消極的な意見を表しているのではないのかもしれない。それこそ が擬似群衆に特有の態度であるかもしれない。 S のような特徴を潜在させてレンズの前に立ち現れる人間たちは、かつてとは違った装 いをしているのだろうか。歴史上さまざまな群衆が記録されてきたが、ポスト情報化社会 を形成する最大の群衆は、目に見えないのではないか。それを一言で表すならば、「待機 する群衆」ではないかと思う。都市だけではない。地球上のどこにいても、情報システム を通じてつながっている群衆は、常に何かを待っている。たとえば労働の場において、非 正規社員や移民労働者の不当解雇が世界規模の問題となっているが、それは見方を変える と、常に待機することを余儀なくされる人々が爆発的に増大しているということではない かと思うのである。 てのひら 彼女や彼は、掌の小さな画面を見つめながら、何かを待っている。待つ群衆がいかなる 力を潜在させているのか、それが見えてくるかどうかは、芸術にとっても政治にとっても、 無視のできないテーマになるであろう。 5 5

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