いた羽虫や甲虫のことが気にかかる。 そして自分の惨めさを感じつつも、無意
なかがぞっとした」「思ひ」を感じるのである。
よくいわれるように、 このはなしは食物連鎖の議論のようにみえる。確かに書
はまだ自分が羽虫を食べることがつらいのか、自分が底に食べられることがつら
を殺して咀嚼することがつらいのか判然と理解しているわけではない。 これはれ
の選択、 つまりは断食につながるテーマである。 そして、そうであるがゆえに
リー性がひらかれる仕組みになっているようにもみえる。
ここで宮沢は、食物連鎖からの解放という(仏教理念として充分に想定される
みいだされるのは、心がキズついたよだかが、それでもなお羽虫を食べると
がつき「せなかがぞっとした」「思ひ」をもつという一点だけにあるようにおもわ!
時によだかでもある)われわれすべてが共有するものではないか。そしてこの界
星に、自らを変容させていくことしか解決策はないのである。
【文章】 次の文章は、人間に食べられた豚肉(あなた)の視点から「食べる」こと
長い旅のすえに、あなたは、いよいよ、人間の口のなかに入る準備を整えます
ままに口に運ばれ、アミラーゼの入った唾液をたっぷりかけられ、舌になぶら
す。そのあと、歯の隙間に残ったわずかな分身に別れを告げ、 食道を通って胃
十二指腸でも膵液と胆汁が流れ込み消化をアシストし、 小腸にたどり着きます。
すいえき