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現代文 高校生

この問題を教えてください

102- 覚や感情をそのまま言葉にして話していても、相手は、「へえー、そうですか。 と相づちを打つだけ。今度は相手も自分の思いを語り始め、それぞれに感じてい ることや思っていることを吐き出すと、お互い何だかすっきりして、何となく満 足する。こういうストレス発散の点では、おしゃべりもそれなりの効果を持って いますが、その次の段階にはなかなか進めません。 このように、いわゆるおしゃべりの多くは、かなり自己完結的な世界の話です から、そのままでは、それ以上の発展性がないのです。その意味では、おしゃべ りは、相手に向かって話しているように見えても、実際は、モノローグ(独り言) に近いわけでしょう。表面的には、ある程度、やりとりは進むように見えますが、 それは、対話として成立しません。ここにモノローグであるおしゃべりとダイア ローグとしての対話の大きな違いがあるといえます。 ちょっと余談になりますが、カルチャーセンターの講演会や大学の講義などで も、こうしたモノローグはよく見られます。本来、聴衆や学生に語りかけている はずなのだけれど、実際は、自分の関心事だけを自己満足的にとうとうと話して 世界ですね。 これに対して、ダイアロ 2

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現代文 高校生

なぜ答えが4になるのか分かりません。

次の文章を読んで、後の各問い (問一〜六)に答えよ。 私たち日本語話者が普段何げなくモノを数えているようでありなが ら、実は数えるモノの中からどのような形や〈生物/非生物〉の区別、 機能性やその他もろもろの特徴を探し出し、 それにどの助数詞を用い たら適当であるかという判断を瞬時に下していることを、どれほど多 くの人がはたして認識しているだろうか。 これまでの研究の多くは、どの助数詞がどんな性質を持った名詞に 伴うかを詳しく調査し、助数詞全体をタクソノミー(多重構造の階層) で表したり、名詞の素性をプラス/マイナス〉 で条件付けしたり してきた。例えば、 +生物] だけなら「一匹」と数え、さらにもっ と詳しい素性として [+翼]がつけば「一羽」と数える、といった具 合である。動物は「一匹」で、スズメは「一羽」と数える。それでは クジラは? [+哺乳類]、[+大きい」の素性から「一頭」だろうか、 ほにゅうるい それとも [+海洋生物]、[+尾] で「一尾」だろうか。 名詞のカテゴリー化と認知システムの観点から この問題に取り組 もうとすれば、プロトタイプ(特定の文化において最も典型的な属性 (注2) 形、生物/非生物、機能性などの普遍的要素の他に、文化ごとに異 なる知識が大きく関与している事実に直面することとなった。そこで、 助数詞の日本語における使われ方を、二つの異なった状況の比較をす ることにより、認知システムのさらに背後にあると思われる文化的知 識の役割を明らかにしたい。具体的には、それがどのような知識なの か、その知識がない場合、人はどんな数え方をするかについてアメリ カと日本でデータを集めた。 まるでなぞなぞのようだが、ウサギ、 ヒツジ、アメリカ人の共通点 といったら何が思い浮かぶだろうか。実はこれらはみな、アメリカに 長く住んでいる日本人の子供たちが、こうしたものを数えるとき 「一 匹」という助数詞を使った例である。(この調査は1988年から1 992年まで断続的に行ったものである。主にアメリカ、イリノイ 州にある日本人学校に通う子供たちと、三重県志摩町の小学校に通う 子供たち、およびその親戚、学校関係者など、計319人を対象にア ンケートとインタヴューを行った。) 基本的にこれらのものは、素性 から考えれば[+生物] という共通項があるわけであるから、「一個、 二個」と数えるよりは「一匹、二匹」の方がずっと適合性が高いと しんせき

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現代文 高校生

こんばんは。質問です。 現代文の基礎の勉強をしていこうと思い、いろいろ調べてみると、まず語彙力をつけることが大事だと知りました。ということで数ある現代文用語集の中から、評判やレイアウトなどを考慮して、biblia2000という本を選びました。この本の使い方について質問なので... 続きを読む

ラボ業務 ラボ業務 証拠 交渉 negotiation 啓発 enlightenment 換言 paraphrase 述懐 i 啓蒙 eigen 比較 所与 証左 ** ** 開化 20112060280 事実を明らかにする根拠となるもの を表す 取り決めをするために 相手と話し合うこと 対立する「AとB」が話し合う」 人々が気がつかないことを 教えわからせること 「新しい考え方」が示される 言い換えること 「AすなわちB」のような同値関係を表す 自らの経験に触れて、 気持ちを述べること 経験から「心」を述べる 人々に知識を与え導くこと より「合理的な考え方」 を導く 比べ合わせること 「比類似)」を表す 他から与えられたもの すでに与えられた「条件」を表す 事実でないことを 事実のように偽って作ること 「ないものとする」ことを表す 7893 日本の失業率が増加している証を示す。 科学者がある説を提唱するには提唱する側に論理的なを提出する責任がある。 コウショウ 給料の引き上げを交渉する。 鎖国とは外部との境界を明確にして、外部とを断ち切ることである。 ケイハツ 自己啓発の本を読む。 自由主義は心情の一致にではなく、相互的なとそこから導かれる意見のさらなる 発展に、その希望を託しています。 自由とは すれば他者からの強制を受けないことだ。 しますと、人間同士が互いに心あるものとする態度はまさにアニミズムと呼ばれる べきものなのです。 ジョッカイ 当時の心境を述懐する。 ドイツはユダヤ人の芸術家たちがいて幸いだった。 それにしては彼らに感謝のが薄い。 自伝中に している。 ケイモウ 書籍を通じて大衆を啓蒙する ともするとネット上では、のベクトルが、どんどん落ちていく・・ ヒカク 兄弟はよく 比較 される。 近代科学の自然には、中世までの自然観として、いくつかの特徴がある。 ショヨ 議論においては、 与の前提を疑うことが大切だ。 人間の存在は「与えられていること 会うごと 」 と、その )」の領域によって構成されている。 ネツゾウ スクープ欲しさに記事をする。 世界中の分野の研究者がその車にいて、こ た。

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現代文 高校生

この問題の解き方を教えてください。 答えは3です。 私は、最後のまとめに「二人の目指すところは同一な真の半面である」を読んで4だとおもいました。 なぜ、3なのでしょうか?

基本問題 1 科学者と芸術家の生命とする所は創作である。 他人の芸術の模倣は自分 の芸術でないと同様に, 他人の研究を繰り返すのみでは科学者の研究では ない。勿論両者の取り扱う対象の内容には, それは比較にならぬ程の差別 はあるが、そこに又かなり共有な点がないでもない。 科学者の研究の目的 物は自然現象であってその中に何等かの未知の事実を発見し, 未発の新見 解を見出そうとするのである。 芸術家の使命は多様であろうが,その中に は広い意味における天然の事象に対する見方とその表現の方法において 何等かの新しいものを求めようとするのは疑いもない事である。又科学者 がこのような新しい事実に達着した場合に, その事実の実用的価値には全 然無頓着に,その事実の奥底に徹する迄これを突き止めようとすると同様 に,少なくも純真なる芸術が一つの新しい観察創見に出逢うた場合には その実用的の価値などに顧慮する事なしに, その深刻たる描写表現を試み るであろう。古来多くの科学者がこの為に迫害や愚弄の焦点となったと同 様に,芸術家がその為に悲惨な境界に沈論せぬ迄も,世間の反感を買うた 例は少なくあるまい。 このような科学者と芸術家とが相逢うて肝胆相昭。 すべき機会があったら, 二人は恐らく会心の握手を交すに勝諾しないであ ろう。二人の目差す所は同一な真の半面である。 (寺田寅彦「科学者と芸術家」) 上文の主旨として妥当なものは, 次のうちどれか。 (1)科学者と芸術家は, 相容れぬものである。 (2)科学者と芸術家は, 実用的価値に関心はなく, 自分の世界に埋没する。 (3) 科学者と芸術家の共有点は新しいものを追い求めることにある。 (4)科学者と芸術家の対象とする世界はまったく異なるように見えるが、 究極的には同一のものである。

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現代文 高校生

左のページで6行目の波線部の意味がわかりません。教えてください。

199 面東 3 Global つまり地球(globe) 規模的、世界的、という言葉が使われるようになって久しい。 通信や交通の技術の大革新により、地球が一つの村のような共同体になった、として global village (地球村)などというマーシャル·マクルーハンの一九六○年代の用語が、 それこそ世界的に広く知られるようになった。二十一世紀に入った今でも本当にそれほど 全人類が「一体化」しているのかどうかは別としても、この用語は現代用語として広く一 般的に使われている。 そもそもグローバル化(globalization)とは、どのような現象をさしているのだろうか。 専門家の間でも絶対的な合意があるわけではないが、少しまとめてみよう。グローバル化 とは、一方では、世界の共通性の促進、普遍化への動きという側面を持っていると考えら れている。 たとえば、もともと西洋の発明にしかすぎなかった披家的な概念である時間(同じ速度 で厳密に前に進んでいるものという考え方)が世界の標準となっている。本来、時間とい 洋 の発 うものはそれぞれの地域(空間)に結びついていて、各地域にそれぞれの時間概念が存在 していたか、鉄道その他の交通手段の発達によって、あらゆる地域が共通の統一された時 間を持つことが必要となった。人類学者エバンズ=プリチャードが示しているアフリカの 牧畜民ヌアー族の「牛時間」などを見ると、元来、時質といみものが、それぞれの地域の り 人間の具体的活動そのものの反映であり、いわば地域文化の一部としての存在であって、 現在世界中で採用されているような、何物からも独立した抽象的存在ではないことがわか また、資本主義のルールが世界のほぼ全域を覆い、貨幣経済の原理(あらゆるものの交一 換が可能であるとする考え)は常識化してきた。貨幣経済化以前の伝統的な社会では、交一 換できるものと交換してはならないものを明確に区別していた。そのような社会と比較す " ると、私たち現代人がいかに無節操にどのようなものでも売買·交換の対象にしているか を知ることができる。 さらに、メディアや交通手段の革命的な発展によって、異国の文化·社会事情も容易に 5くニ 「く 一般大衆の耳目にライブで届くようになった。ハリウッド映画の人気の高いものは、世界 ×ニ 中で上映され、人気スターはあらゆる国境の壁を越えて世界中にファンを獲得して久しい。5 ミ ミュージシャンなども同様である。日本発のァニメやテレビゲームもまた、近年世界中の で 若者の心をつかんでいたりする。 リう 「グローバル化」の中の異文化理解

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現代文 高校生

現代文の開発講座lesson8からです。 第2段落の最初にある 「じっさい」の後の文章は、 第1段落の最後にある「集団の規模の適正な大きさが制限される」の実例が示される と思って読んでいました。 しかし、文章を見てもよく分かりませんでした。この文章の第1段落と第2段落にど... 続きを読む

第8問次の文章を読んで、後の設問に答えよ 現実の企業においては、新商品発見の活動も集団の協同作業として行なわれるが、し かし、この集団は本質的には自由な個人の集合体であるほかはなく、狭義の生産のため の組織とは異質なものになることであろう。そこには厳密な分業の体制もなく、機械的 な作業規則や命令系統も弱まるはずであり、なによりも、集団の大きさが個人間の対話 5 の可能な範囲に限られることになろう。どんな巨大な企業であろうと、商品を開発する 集団はほぼ十数人の規模に限定され、そのなかでは、各個人が有形無形の情報の全体像 を共有しうる仕組みがもたれている。けだし、狭義の生産組織はつねに定められた目的 を共有して働くものであるが、およそキチの認識であれば、どんなに多数の人間にもそ れを共有することができる。だが、発見や開発の集団の場合、ひとはまず| 一を共 有して働くのであり漠然たる願望や気分をわけあって働くのであるから、そこにはおの 10 a ずから集団の規模の適正な大きさが制限されるのである。 じっさい、現代の企業のなかでは、一方で狭義の生産活動が自動化されるとともに このような非プログラム的な情報生産活動が、たんなる商品開発部門を越えて拡大しつ づけている。商品開発といっても、それは結局、消費者の秘められた需要を発掘するこ とであり、いわば消費者の自己発見を助け、企業が消費者とともに自己発見をすること 5

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