49 言語の開く地平
学ソ9 内 概8 模 7 次止6 人5
でいくところにあらわれたものであり、単純な自然説では割りきれない言葉の実態を、なん
とかして解き明かそうとした苦心の果てのものであるだけに、意味深い。この類似性とは、
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名とそれが表現すべき事物との間の類似性であり、名による事物の模倣である。《最初の名が
ある事物の表現であるべきだとすると、そうだとするためには、最初の名を、それが表現す
べき事物にできるだけ似せるようにするより他に》よりよい方法があろうか、とも、《事物の 勝
名は音節と文字のうちに事物が模倣表現されているものである》とも、ワクラテスは述べて
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いる。このように、類似性や模倣の概念は、名と事物との間の断層への意識とその間の架橋
>の
の努力を示しているだけでなく、さらにすすんで、ソシュール学派でいうところのシニフィ
アン(意味するもの、能記)と、シニフィエ(意味されるもの、所記)との間の問題として、そ
の断層と架橋の問題がとらえられている。のみならず、そうした態度は、事物と名とを結び "
つけるものとして、〈習慣〉の存在が説かれることになる。《僕が甲と発音する場合、僕は乙
なる事物を思い浮かべている。そうして君は僕が乙なる事物を思惟していることを認識する。
習慣というものはこれにほかならないのではないか。》 また、《習慣とはすなわち約束に他
ならない》とも明言されている。そして、その結果、まことに興味深いことに、《名を知る者
は事物をも知る》ということや、名を知ることによって事物を知るという方法が危険をはらん ぬ