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基礎編
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評論①『まちづくりの実践』田村明
課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
にぎ
戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ
くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。
権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、
都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。
2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都
市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は
ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は
不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで
暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。
一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規
定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと
を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住
民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる
だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。
4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55
「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有
の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ
「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で
地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。
⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20
地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民
主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地
域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一
的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ
て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。
9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている
ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお
きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。
7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から
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「企業」がその城下町を
くって大企業とその
請けの中小企業が、 自
の主要な産業の中心と
てかたまって存在する
比喩的に表現した
画一的個性や特徴
ないこと。 類語に「一様
「均一」がある。
一九六〇年代―一九五
年から一九七三年にかけて
「高度経済成長期」に会
まれる。