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1. neck(首肉)
2. chuck(肩肉)
3. rib(あばら肉)
4. short loin(腰肉)
5. sirloin(サーロイン)
6. rump(しり肉)
7. round(もも肉)
8. shank (すね肉)
9. brisket(胸肉)
10. plate (ばら肉)
11. Aank(わき腹肉)
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ショート· イン、ブリスケット
プレート、フランク、サーロイン
などと区別するのは、牛肉に対す
る、その言語の並々ならぬ関心を
示している。Gれに対して日本語
はこれらには無関心であって、動
物名の牛(うし)に対してその肉
の名、牛(ぎゅう)が使われだし
たのはやっと明治になってからで
N
あった。そのかわり、日本語は魚
に関しては詳しい。ボラという魚
の成長段階に応じて、例えば浜名
湖でキララ→オボコ→イナ→ニサ
り
イ→ボラ→トドと呼び分けている。
成長とともに名を変えるいわゆる
出世魚である。これは、この魚についての知識の密度が濃くて、つまり世界を捉える走
査線が細かくて、微細な差も、これを別名で呼び分けなければ気がすまないのであろう
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(このことと表裏をなすが、我々日本語を母語とする者は、世界を日本語で見ているの
である。例えば虹を我々が七色と見るのは、あの光のスペクトル連続を日本語では七つっ
に区切ってそれぞれに色の名を与えているからにほかならない。もしそれを五つに区
切って名づける
る言語があれば、その話し手は同じ虹を五色に見るにちがいない
このように、客観世界というものは、純粋には見ることはできない。あるいは、極端
にいえば、人間にとって純粋客観世界はありえない。/必ずこの母語の色眼鏡を通して世
界を見ているのである。色眼鏡というと悪いもののように聞こえるが、とかく人間は、
世界は自分の色眼鏡で見る世界しかないと思いがちのものである。
しかし、逆に?他人の色眼鏡が立派に見えてくる場合もある。例えば、日本語には文
法的カテゴリーとしての単数、複数の別がないからといって日本語は論理的ではないと
考える人はよくいる。けれども、単数、複数の別のあることは言語にとってそんなに有
利なことであろうか
筆者がロンドン大学にいた時の話であるが、日本語を習っている学生が日本語は単数、
複数の区別がないから、なんとなく頼りない、と言ったことがあった。自分たちが区別