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漢文 高校生

土佐日記の阿倍仲麻呂の歌です 穴埋めしてほしいです🥺🥺🥺🥺

(一月) 二〇日。昨日のように悪天候)なので、船 を出さない。 みな人々は心配し嘆いている。苦しく待ち遠しいの ただ、出発してから)経った日数を、今日で何日、 二十日、三十日と数えると、(あまりに数が多いので) 指も痛んでしまうに(2)。とてもつらい。夜は(3) 二十日の夜の月が出た。(ここは都と違って) 山の稜 線もなくて、海の中から(月が)出て来る。このような 光景を見てのことであろうか、昔、阿倍仲麻呂という 人は、唐の国に渡って、帰国の途についた時に、船に るはずの場所で、かの国の人々が、(5)、別れを ほんで、あちらの漢詩を作ったりなどした。(名残が ずそれで十分満足することがなかったのだろう カ、二十日の夜の月が出るまで(その場に留まって) いたそうである。その月は海から出た。これを見て仲 麻呂さんは、「わが国では、このような歌を、神代から 神もお詠みになり、今は上中下すべての( 7 )の人も、 このように、別れを惜しみ、喜びもあり、悲しみもあ る時には詠むのです。」と言って、詠んだ歌は、 青々と広がる海原のはるか遠くを仰ぎ見ると、あ の月は(かつて故国) 春日(8)三笠の山に出て いた月(と同じ月)なのだなあ。 と詠んだそうである。かの国の人は、聞いてもわかる まいと思われたが、(仲麻呂が) 言葉の意味を、( 9 ) でおおよその内容を書き出して、日本の言葉を習得し ている人に説明したところ、(かの国の人々も) 歌の心 情がわかったのであろうか、たいそう意外なことに賞 賛したそうだ。唐の国とわが国とは、言葉は違うけれ ども、月の(10)は同じことであるはずだから、人 の心も同じなのであろう。 さて今、その昔を思いやって、ある人が詠んだ歌は、 都では出るのも入るのも) 山の稜線に見た目で あるけれど、(ここでは)波から出て波に入ること よ。

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漢文 高校生

赤丸が誰から誰への敬意なのかわかりません😥 どなたか教えて頂けませんか??💧 よろしくお願いします!!🙇🏽‍♀️🙇🏽‍♀️

0 シ つき 次の文章は「千種日記』の一節である。江戸に住む作者は、父の墓がある播磨 国(現在の兵庫県南西部)を訪れた。これ は= 6くに を読んで、後の問い 問1~6)に答えよ。(配点 0) 0分 夕つ方、御墓に詣でんとす。寺にて上下など着て出づ。老人の弟子案内するに、今日来し道に出でて三町ばかり坂を下りて左 こ の山に入りて、「ここなん御墓なる」と言ふ。夏草繁りあひて、払ふ人だになく、いとあはれなる山のかたはらなり。失せ給ひ たま ななとせ て後七年を経て、今日詣で奉ることの本意なきに、近うも侍らば春秋の祭もおこたらで、がかる草をも払ふ身ともなりぬべきを、 et など思ふに、涙もとどまらで、御墓の辺り近う寄りて、ながらへましまさば、我かく参り奉るをいかばかりか喜び給はんと思ふ。 5 是くげ別トしっも 一年、比延にて御いとま給はりしことも、ただこのごろの空とのみおぼえて、目にも耳にもあまる涙にくれてゐたり。 ひととせ を2。 案内の法師、「いとことわりや。墓などに来て深く嘆くは、かへりて罪深きことにて侍り」など諌むるも聞きわづらひて、立 ち帰らんとす。さばかりゆゆしかりし人の、かうまで跡かたもなく失せ給ふことと、よそ人のうへだにあるべきを、父子の親し B. Vタ も かれしくも きとなりては、くやしうもあさましうもいはん方なく悲しきに、え帰りもやらで、なほ御墓の後ろにまはり、前にひざまづきて、

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