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現代文 高校生

この文章の問6の問題なのですが、ロ、ホが正解でして、ホが正解なのがよくわからないのです。全体的には合っていると思うのですが、歴史的、非歴史的、というのが文章のどこにも書かれていないので合っていないと思います。なぜホが正解になるのですか。

g++ 問五傍線部2「アフリカ美術の取り扱い方」 とあるが、筆者によれば 「ジェームズ・クリフォー ド」は「アフリカ美術」の近代における動向をどのように捉えているか。それを表す三十五 字以上四十字以内の箇所を抜き出し、冒頭と末尾の三字をそれぞれ記せ。 問六本文の内容に合致するものを、次の中から二つ選べ。 一九八四年にサイードが企画した展覧会に対し、クリフォードはそこに見出される日本 人像が、西洋の歪んだ自己認識から生み出されたものであることを指摘した。 ロクリフォードは、西洋がアフリカ文化を自分勝手な仕方で捉えているばかりか、そうし た西洋中心主義的な自らのありように無自覚でもあることを厳しく批判した。 ハクリフォードによれば、ピカソなどの「モダンアート」とアフリカの「部族美術」に親 縁性があるのは、アフリカ文化が先進国である西洋の文化を模倣してきたからである。 ニ「オリエンタリズム」 をめぐるサイードの議論によれば、西洋は非西洋を遅れたものと見 なしつつも、つねに「エキゾティック」なものとして神秘化し、崇敬の対象としてきた。 ホ 西洋は自文化を進歩し続ける歴史的なものと捉えつつ、アフリカ文化を静止した非歴史 的なものとして保護するという形で抑圧している、とクリフォードは主張した。 語句の意味 エキゾティック(ℓ7) 異国情

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これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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