1849
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【史料3】
<ネルー 『父が子に語る世界歴史』 >
アジアの一国である日本の勝利は、 アジアのす
べての国ぐにに大きな影響を与えた。 ・・・たくさ
んのアジアの少年、少女、そして大人が、 同じ感
激を経験した。
「アジア人のアジア」のさけびが起こった。 ...とこ
ろがその直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸
国のグループに、もう一国をつけ加えたというに
すぎなかった。その苦い結果をまず最初になめた
のは、朝鮮であった。
【史料】
てつ
<三浦銕太郎 「帝国主義の恐るべき側面」>
第一は軍事費の荷重に基づく国民の疲弊であ
る。元来軍備の目的は平和の保証である。しかる
に帝国主義の下に行わるる軍備の目的はこれによ
って他国を征服して領土を拡張するにある。故に
その軍備は幾らあっても足ることはない。・・・しか
るに我が国は日露戦争後陸軍を二倍に拡張した。
もし支那分割の野心を包蔵するか, シベリア征服
の大志を想像しなければ、その意義を解すること
ができないと思う。
(『東洋時論』1911年9月)
( 1930年代前半に執筆)
【史料4】
<安重根 『東洋平和論』 >
ゆえには一つの機会を与えて, 東海の島国
日本をしてこの強大なロシアを満州大陸で一撃
で倒させたのである。 誰かよくそのようなこと
を測り知ることができたのであろうか。 それは
天に順い、地を守り、 人に応ずるの道理である。
・・・・勝利した日本は, 凱旋するなり最も近い同一
人種で、最も親しいはずの善良な韓国に対して
無理な条約を迫り、 満州長春の南に位置する韓
国を占拠した。 世界のすべての人々の脳中に疑
惑の雲が湧き起こり日本の偉大な名声と正大な
勲功は、一朝にしてロシアよりも甚だしい蛮行に
変わってしまった。 (1910年 獄中にて執筆)