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現代文 高校生

解答が無く、正解が分かりません。 問3.4.5の解説と答えが欲しいです(;_:)

RECE E.F 文学とは何か 加藤 文学評論 文は描くものですが、必ずしも目に見えるものを目に見えるように描くものではあり ません。もし目に見えるように描くことが目的であるとすれば、どのような散文も、フロベー 文でさえも、ありふれた映画の一場面に及ばないでしょう。 「感情教育」のポウト がどんなにいきいきとセーヌ河の風景を描いているにしても、その風景は、目に見える ようであって、目に見えるのではありません。ところが映写幕の上には、見えるような風景 5 ではなく、実際に見える風景があらわれる。 映画の魅力はそこにあります。 もし小説の魅力 に⑩ヒッチキすることはできない。客観描 同じ性質のものであるとすれば、小説が映画に は、それが目に見えるものを目に見えるように描くということを意味するかぎり、可能で あるにしても、小説的表現の素材(言葉)にふさわしい方法ではありません。言葉には意味 があります。意味は想像力に訴えます。写真は、目にうつる一切のものを記録します。 記録 1 は感覚に訴えます。 セーヌ河の風景を客観的に再現するという目的は、写真という表現手段 にふさわしく、言葉という表現手段にふさわしくないということができるでしょう。逆に、 セーヌ河の風景をながめる青年フレデリック・モローの感動を再現するという目的は、言葉 にふさわしく、写真にふさわしくない目的です。小説における散文は、まず主人公の感動を その感動のなかに誘いいれながら、その感動を通じて周囲の風景を想像させよ 5 うとするときに、独特の能力を発揮します。 その逆の手順をふむときに、たとえばセーヌ河 の風景の客観的描写からはじめるときに、散文はその無能力を暴露します。これが、小説に 散文を、その描く対象の側から考えてみるときに、当然見いだされる原則です。しか し、もういちど、散文を描くという機能の側から考えてみると、小説における、または文学 における散文の性質とは、どういうものでしょうか。 散文における言葉は、ある対象の符号 20 ですが、具体的な特定対象の符号であるのは、固有名詞だけです 「東京」という町は、世 界中に一つしかない)。しかし普通の言葉は、特定対象の属する群の符号である(「町」は、 東京だけでなく、他にいくらでもあります)。言いかえれば、特定対象を名づけるというこ とは、一般に、その対象を分類することです。 分類のしかたは、たくさんあります。一杯の コーヒーという特定対象をわれわれはコーヒーという言葉でわす「コーヒー」として分 4 類することもできるし、飲物、ヨウエキ、物質等の言葉で表現する(そういうものとし て分類する)こともできます。 どういう分類のしかたを採用するか、すなわちどういう言葉 ぶかは、われわれ自身が、われわれとその対象との関係に応じて、決定する他はないで しょう。言葉による表現とは、われわれと対象との関係を限定することであり、逆に、その ような限定を伴わずに言葉で何ものかを表現することはできません。言葉によって世界を描 くということ、つまり散文をつくるということは、本質的にわれわれと世界との関係を限定 することである。あるいは、われわれにとっての世界を定義することである。日常的会話は、 日常生活の約束と習慣にしたがって世界を定義します。 文学的散文は、日常的定義とは異 なる独特の定義によって世界を成立させるものでなければなりません。 小説文を読むと そのことにほかならないでしょう。フロベールは、そのことを意識せずに、 客観描写という方法論を発明しましたが、 そんなことが完全に実現されることは決してない ので、彼の作品も彼の方法論を裏切っています。 逆説的にいえば、裏切ることそのことによ 文学として成立しています。 それは、そのはずであって、主観をまじえずに、革命の情 景を描写するというようなキョクタンな場合を考えてみれば、明らかにわかることです。 ある人は、パリの人民大が第二帝政を打倒したと書きます。 中を騒がせたと書きます。 「人民大衆」という言葉も「不足の輩」という言葉も、単に客 ます。またある人は不起のが世の 観的な対象を示すのではなく、その人と対象との関係を示すものです。世界を定義せずに、 何事かを言葉で表現するということが、そもそも不可能である。作家の責任ということもそ 白梅図 文化論 →評論・随筆・小説 →詩・和歌・短歌歌 Aではなとうっと 問四 B ( こから出てくるわけで、世界と自分との関係を定義するその定義のしかたの責任を、あらゆ 作家が負っているということになります。 それでも、客観描写ということが成り立つとすれば、それは意味づけのしかたそのものに、 一定の約束があり、個人的主観によってその約束が破られないという場合でしかないでしょ う。たしかに、科学者はそういう約束をもっています。解剖学教科書のジョジュツなどは その意味で客観的であり得ます。しかし小説家にはそういう約束がない。 対象が人生である 場合にそんな約束はあり得ません。「人生襲」というものはない。人それぞれにとって「わ 傍線部~の片仮名を漢字で書け。(5点×5=25点) ) ( 人生観」があるだけです。 「文学とは何か」 角川新書による) 問一 ⑩(目頭 (溶液) ⑥(極端)(敘述 問二 部とあるが、本文中にはこれと同一の内容を端的に表現した言葉がくり返し使 われている。これ以降から抜き出して書け。 (1点) ) 問傍線部とあるが、この内容を説明している部分を本文中より五十二字で抜き出し、 最初と最後の三字を書け。(句読点も一字に含む) (10点) 傍線部 とあるが、 「日常的定義とは異なる独特の定義」とは何か。本文中の筆者の 論旨にしたがって、六十字以内で書け。(句読点も一字に含む) (10点) ・ 問傍線部とあるが、ここでいう「対象」とは、具体的には何を指すか。また、そ の「対象」を描くにあたって、「人民大衆という言葉」を使った場合、「不退の輩と いう言葉」を使った場合、それぞれ書き手と「対象」 とのどのような「関係」がそこに示 されているのか。簡潔に説明せよ。 (1点×3=4点) FO (RACEPT 粉に ) ) )

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現代文 高校生

直後にエの選択肢の"バイアス"という言葉があったので"エ"だと思ったのですがナゼダメで"ウ"になるのですか。

(ニ) つぎの文章を読んで、後の問いに答えよ。 日本の散文芸術(和文体) の歴史を振り返ったとき、厳密な意味での「三人称」の世界が存在したかどうかはきわめて疑わしい。 物語にせよ軍記にせよ、時に現場に密着したある一人の人物から語られているかと思うと、次の瞬間には全体を傍厳する、全一 能的、バノラマ的な視点に切り変わっていたりもする。大宅世継が夏山繁樹に語るのを作者が聞き書きする(「大鏡」)、という 形に象徴されるように、そこでは多くの場合、誰が誰に語るのか、という具体的な「場」が前提となるのであり、たとえ客観的一 0をH6Jき 融通無得な様態を。 の一貫性を求めて無意識のうちに蓋合性をつけて読もうとしているからなのではないだろうか と感じるのであるとするなら、それはわれわれが近代的な「人称」の概念の影響を受け、視点- 近代以降の小説は、雨洋の十九世紀的なリアリズムを取り込もうとする動きの中で、「人称」という発想に出会い、これを日 本語の言文一致体に実現していこうとする悪載苦闘の歴史でもあった。物語の内容を表現するにあたって、誰が、どのような 資格で語るのか、という問題が、おそらくこれほどまでに厳しく問われた時代はほかにはなかったのである。たとえば一人」 な叙述の形をとっていたとしても、それはあくまでも「よそおわれた三人称」とでもいうべきものなのである。もしもこうした一 64 2014年度 国語

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現代文 高校生

この二枚がわからないので答えを教えて貰いたいです! お願いします🙇‍♀️

放送視聴 放送視聴 6504 6504 No No 21 22 NHK高校講座ライブラリからニ0ニ0年度の放送を視聴してください。 提出日 現代文B ZIと回校講座 放送媒体 その他 放送番組名 入門編(2)文章を読み解く一 人式さの営葉 入門編(1)文章を楽しむ N 一、次の空欄にあてはまる語句を記号で答えなさい。 明治時代から後の( 1 )以降の文章を現代文では扱う。現代文には文学的文章や評論、( 2 )も含 まれます。評論や論説文では考え方や生活の(3 )にかかわる問題が論じられている。書き手や主人公と 対話をするように読むことができる。現代文の魅力は、よくわからないということ。すぐにわかるというこ とは今の自分の(4 )力で読めるということ。宮沢賢治は、深い思想とそれに基づく生き方をした思想家 に感じる。書かれた文字の意味をそのまま(4)することではなく( 5 )をとらえることで文字に表れた 意味が浮かび上がってくる。そこを捕まえることが読むということです。。却せ ア,説明書 イ.理解 ウ.根本 エ,近代 オ.読解 カ.キ,近世ク.文脈 _ケ.根源 日意すさ点却、 容 8) hこゆそ、 ロい ニ、次の空欄にあてはまる語句を記号で答えなさい。 現代文は倫理的に考え、具体的な( 6 )に基づきながら文章を読み解き理解するカ。個人がどう思うか の前に( 7 )的にどう読みとれるのかという こと。文学的な文章とは小説や詩、俳句、短歌などです。 ( 8 )的な文章とは評論になります。様々な作品を通じて他者の考え方、感じ方、( 9 )に触れ、そ れらについて考え理解していくという行為は自目分のものの見方や考え方の( n)も広げる。 ア.客観 イ.根拠 カ,証拠キ生き方 ウ.主観 H' 鑑理 オ,倫理 ク.感じ方 ケ.広がり n' 響 NHK高校講座ライブラリから二0ニ0年度の放送を視聴してください。 現代文 B 提出日 放送媒体一 その他 放送番組名 NHK高校講座 n.そこにひとつの席が/ この世 12.永訣の朝 一、次の空欄にあてはまる語句を記号で答えなさい。 )、定型詩、散文詩に分類される。(1)は、音の数やリズムなどに制約がないもの。黒 田三郎「そこにひとつの席が」の恋人を幻想的に表現している ( 2 )、か弱い女性をあらわしている小鳥 )であらわしている。中江俊夫「この世」で、人間の存在を詩の中では扱わずに、自然とつなが )が感じられ、人間の自己中心的な考え方や振る舞いに対する( 6 形式により( 1 が( っている生物と人間との ( 的な視点も示している。 ア.直喰イ.霧の夜 ウ.席工,最上級 オ,比 カ.比較 キ.批判 ク.自由詩 ケ.評論 ニ、次の空欄にあてはまる語句を記号で答えなさい。 二つの陶椀は、( 思いが詰まった表現。雨雪をとってきてほしいという妹の願いではあるが、わたくし自身の熱を冷ますため に妹が願ったことに気づかされる。( いる。ローマ字で表現することにより、受け止めたくなかった、聞こえなかった、聞きたくなかったという ( 9 )が表現されている。わたくしは妹が弥勘菩薩のもとに生まれ変わっていずれ人々を救うために地 上に降りてくる存在になるのではないかと信じ、妹の願いを受け止めて私自身も他者のために生きていくの だという( )の強い結びつきが読み取れる。 曲がった鉄砲玉はわたくしの心境や動揺など色々な 7 )より時間の経過や視点の変化、( 8 )の変化があらわれて」 9)が表明されている。 ア.決意 性根 エ,初心 オ,心情カ.戸惑い キ,リーダー

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世界史 高校生

至急ことプリントの答えが欲しいです! どなたかお願いします! すみません!

: 79 宋代の文人 宋代の文化は, 地主・ こ 党・美術が発直し. 都市 5 見像でもある知職階散の( ① )を中心に学問・文 =2ん 5の庶民階層を中心に文芸・ 工芸が栄えた。 信学 TNI とする近学が北宋の( ④ ) リ 。南末の( ⑥④ )が発展させて人挙を大浅した。 償子学で 4 到より もo反を和典と して重んじ. の ④ )論を中え. 周辺諾民族に に対する中国優位論を展開した。北宋の 2 x( ⑥ )体の通史「次治通鑑を編葉し, 秩維持の和要性を示した。 唐に続いて禅宗と土宗がさか んとなり, 華北 は金の時代に半 道族を合わせた( ⑦ )を創始した。 絵画では 上oeを 申心とする写実的な( ⑧ )が成立し. 知識人の間では水量画の手法によ ( ⑨ )が全盛となった。文学では「新府書]などを編集した( ⑩ )や| ちな低財(菊東基) らの散文のほ 、雑前とよばれる着劇や音曲にあわせて 6 ⑩ )が流行した。工芸では高温 で焼かれた白磁や( ⑫ )がつくられた。 : 科学技術も発達し,( ⑬ )の音 ・ 大量の音物が出版され。 火薬 にも伝わった。 ・ (1) 四書をすべてあげよ。 : (⑫) この画風を代表する写真Aの作者は誰か。 ② 80 モンゴル帝国・元 [A】 モンゴル帝国の発展 13世紀初めにモンゴル部族を統一したテムジンは, ( ① )年に部族集会で ある( ② )を開いてハン位に選出され, チンギス =ハンと称した。 そしで。 〇中央アジアのナイマンを討ち. 西トルレキスタン・イランを支配3る(⑥ ) を誤ほし。 1227年には中国西北の( ④ )を小ぼして東西交昌中を確保た。 を 彼の死後に即位した( ⑨ )は, 1234年に華北を支配まる (⑥ を波攻し。 者 2 @ G 8 @|@ @|@ @ 人 ⑥ )が掌いる軍は, ロシアの大半を征服東庄 7っ Es (0O) )E5インマ メソポタミアに久り 9の ⑩ )朝を洲ぼした。こうしてモンゴル鶴国| は記たがが< ②大ハン位をめぐる相続争いも続いた だ当 キモ : 第5代の世揚フビライは, 自身の友力が強い東 ・ と : 1264年に( ⑪ )へ天都した。 1271年には国地を EE ・ に朝鮮半島の( ⑫ )や③④チベットを属国化しii して中国を区一すると。 さらに日本, ベトナパ ワへも征した。 @ き @ @ 8 に) の : の フビライの相続に反欧し、約0年にもわた2G : (3) このときフビライに国師としてまねかれ 誠べ 中 : 字を作成したチベット仏教の教主は誰か。 : (の) II上紀にビルマでおこりフビライの侵入を受記 をモンゴル高原のオルホン川東岸の( ⑦ )に建Gだまだた テンキスミッ、 T [日】 モンゴルの統治と帝国の出載 。フビライは. 中国統治に あたってはモンゴル人を中心に@各民族を登用し,* 昌利益を : 科閥を一時中止するなど中還六化は重視しなかった。いっぽう. 重視して交通路の確保やゅ包伝仙の間代に契めたため。 [モンゴルの平和1と : よばれる安定がもたらされ, 東西の交流が活発に行われた。 な1 : 形署を与えた。また, 元代は庶民文化が発 が 2.金の支配下にあった女真人 在電人などは何とよばれたか。 詳易の支払いには持ち運びに便利な( ⑬ )とよばれる紙 芝(写真右)が流通した。イスラーム世界とも交漁が深まり 8 遅し, の死曲とよばれる虚軸がさかんに六じられた。 14世紀半ばに正基教徒による( ⑲ )の乱がおこり。 その中からあらわれた染 * 還 (@) 駅伝(制)のことをモンゴル語で何というか。 (⑦) 元曲の代表作を2つ答えよ。 1の⑨ イスラームの天文学を参考に手宇淫がっくった( ⑬ )は に, 元がイル=ハン国に伝えた中国絵画はイラ フビライの死後は相計争いが続き。 1 @ )o 番発や, 塩税:茶税の増税でかわそうとしたため民衆の生活は一 層苦しくなった : ⑯⑥ が( ⑰ )年に( 0 )を攻略すると. 元はモンゴル高原に作れた(和光) 。: (5) 1. 中央アジアァ・ 西アジア出身で。 財政を担当した 人々は何とよばれたか。 81 81 Q) 13世紀のアジア ァ

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