現代文
高校生
なぜBが自己陶酔的が入るのか分かりません。解説をみても、「神を対象とする時、祈りの形をとるよりほかなく」「一番詩に近い特殊なうたいものです」が自己陶酔的に繋がるように思えません。何故そうなるか教えて下さい🙇♀️
にして、見物の判断に任せた、といってもいいでしょうが、それははじめにも書いたとおり、お能が本来演劇的な性質を持ち
合わせなかったからです
見物はいたが、人間が対象ではなかった。神を対象とするとき、「祈り」の形をとるより他なく、舞人は役者より座女に近く、
舞は芝居より神楽に似て、多分に
な要素をふくまざるを得ません。たしかに、それは一応演劇的な構成をもって出
B
来上がっていますが、その中心は舞にあり、台詞は、そこに無理なく運んで行く為の、手段として扱われるにすぎません。そ
ういう意味で、この芸術は、純粋な舞踊といってよく、謡は戯曲でも散文でもなく、一番詩に近い特種な「うたいもの」です。
の
にくくさせる原因ではないかと
ウ、「歓心を買う」とは、*他人に気に入られるように機嫌をとること。といった意味である。_一
間二 A、空欄Aの直前によれば、「神木」が「舞台の後ろに描かれた老松」に、「立樹」が「橋掛の小松」に変化したと
ある。これを的確に言い表したのは、dの「人工的」
B、空欄Bを含む段落の二文目に、能は「神を対象とするとき、「祈り』の形をとるより他なく」とあり、また同段
落最終文には「一番詩に近い特種な『うたいもの」です」とある。加えて次の段落の二文目にも「一人よがりで、見
「物は無視されているような」とあるため、これらを的確に表したしの「自己陶酔的」が正解。
C、空欄Cの直後の「特定の」という表現が手掛かりとなる。仮面は、その時々の特定の表情のみを表すという文脈
を踏まえると、正解はcの「瞬間的」
D、空欄Dを含む一文は、〈AというよりBである〉という逆接的な構文が用いられている。この構文では、多くの
場合AとBとが対比的な意味内容になる。「超人的」と意味的に対をなすdの「人間的」が正解。
国語
92 2020年度
C
B
A
D
a
b
b
S
C
d
d
d
e
e
e 他人に関心を
O イ」
二 本文中の空欄
に入る最も適切な語句を、つぎの各群の a~eの中からそれぞれ一二
記号を解答欄にマークせよ。
a 機能的
限定的
革新的
人工的
a 利那的
b 自己陶酔的
c 排他的
必然的
閉鎖的
画一的
夢幻的
瞬間的
d永続的
暗示的
の
b女性的
因習的
人間的
巨視的
回答
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