TEN
主権在君
制限進挙
もタ 五明
* R 4か 月
た 行道行へ官せ
ろ 本 七
発 日
丸山作楽
番八七慶
歌華
史 神官.
1最初の日本銀行券 「大黒札」 捨(十) 円券
幼屋局札などを手がけたイタリア人のキョソーネ (1832~98) 。
1885年5月9日発行開始。 デザインは, 国立銀行紙
京日日新聞
政
2
松方財政と民権運動の激化
民の
に。
政府は立憲政体の確立とともに, 近代的な財政
の確立にも迫られていた。殖産興業政策や西南
たえ
しょくきんこうう
松方財政と不況
せま
かん しへい
戦争の鎮圧に多額の経費を必要とした政府は,大量の不換紙幣を発行
して対応した。さらに国立銀行が発行する不換銀行券とあいまって、
はげしいインフレーションと物価高騰を招く結果となった。このため
定額金納の地租を中心とする政府の歳入は実質的に減少することにな
り,政府は財政難に苦しめられた。また. 明治初期以来, 輸入超過が
ちんあっ
一方、
5
こうとう
さいにゅう
ちょう か
に
続き,貿易によって金銀貨(正貨)が海外に流出し,その保有高も底
た
をつきはじめた。
そこで,大蔵卿に就任した松方正義は.軍事費以外の歳出を徹底的
てっていてき
7
さいしゅつ
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おおくらきょう
まつかたまさよし
1835~1924
>1
におさえ,大量に流通する不換紙幣の整理を進めた。 1882 (明治
15)年に中央銀行として日本銀行を設立し, 翌83年には国立銀行か
ら銀行券発行の権利を奪い, 1885年から銀党換の日本銀行券を発行
うば
ぎん だ かん
し、ここに銀本位制が確立した。
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この政策はデフレーション (松方デフレ) による物価引き下げと,
だ かん
おうべい
敵米と同様の党換制度の確立による輸出拡大をめざすものであった。
ふきょう
しかし,デフレのため物価が大暴落し,全国的に深刻な不況におちい
まゆ
った。農村では増税に加え, 米や繭などの価格がいちじるしく下落し,
ちょくげき
生活を直撃した。中小地主や自作農民のなかには土地を手放す者が続
出し,小作農になったり, 都会へ出て工場労働者になったりした。
を中心