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政治・経済 高校生

国際連合の役割が問われている昨今の状況では、国連体制反対と現状維持の二つの意見が分かれることは想像に難くありません。【別紙】に示した文章は、皇學館大学学長の田中卓国史博士の著書「愛国心と戦後五十年」(青々企画、1996)の一節です。田中博士は戦前の史学思想(通称:平泉史学)... 続きを読む

13 国連体制の崩壊 非平等・非正義・非平和の実態 先づ国体制の崩壊です。私は、国連体制といふものは、次第に崩壊しつつあると 思ひます。その実情を述べませう。 国連は前に説きましたやうに、その章に、(1)「大小各国の極」、(2)「正義」とそ の「義務の尊重」、(3)「平和及び安全の維持」を譲ってあるのですが、果してそれは守 られてきたか。 実は、それらが粉であり、むしろその反対であるといふ正体が、既に明 らかとなってきたのであります。 先づ (1) ですが、実際に国は「大小各国の同権」を認めてゐるか。 本当に各国すべ 平等であるのか。さうではない。何故なら、国連機構で最も重要な安全保障理事 会において、特別の国だけが最初から常任理事国となり、拒否権までをもつてゐる。それ らは米・英・仏・ソ連(今はロシア)・中華民国(今は中華人民共和国)の五ヶ国、要するに 第三次世界大戦の戦国でせう。これで、国の大小を間はず皆平等だ、と言へますか。言 へないでせう。ですから、私は指摘するのです、国連は決して平等(同権)の組織では ない、と。明らかに平等”なのです。 次に、国連に(2)「正義」はあるか。歴史の示すところ、遼は「正義」でなく、も しろ非正義といふべきです。それは中華民国の運命をみれば明らかです。 中華民国は、 英と共に当初から連合国に加はり、日本と戦って勝利をえた国です。したがって中華民 国が国の中で大きな地歩を占めるのは当然のことであります。そのために安全保障理 事会の常任理事国にも選ばれた。そして中華民国自身は、終始国連のために誠意をもって 忠実に協力してきた。ところが昭和二十四年に、中華人民共和国が抬頭してきて、大陸を 支配する。しかし国連は、これを最初、レッド・チャイナと呼んで偽政府とみなし、正統 政府は台湾に落ち延びた中華 内だとしてみました。 それは筋が通ってゐます。しかし、 やがて大陸のレッド・チャイナの方が勢力をつけてくる。これに反して台湾の中華民国の 方は、大陸反攻を口にするがチャンスもなく、どうやら台湾で納まってしまひさうな形勢 となりました。 さういふ情勢のなかで、昭和四十六年十月二十五日、国連デーの翌日ですが、この時、 国連は、中華民国をメンバーから追放したのであります。正統は、中華人民共和国の方で あるとして、台湾の中華民国は除名されることになった。これは一体どういふことでせう か 中華民国は国連に対して不都合な、なにか悪いことでもしたんですか。さうではない。 協力こそすれ、何も悪いことはしてゐない。 元々安保理事会の常任理事国でもあり、重要 なメンバーとされてみたものが、どうして追放されたのでありますか。 これが「正義」と か「その義務の尊重」といますか。 要するに、大陸の中華人民共和国の力が強大となり、 その強大な力の前に国連の“正義”が膝を屈したといふことではありませんか。そ こで私は、国連のやり方は“正義”だといふのです。

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政治・経済 高校生

ブレトンウッズ体制の固定相場制は全世界共通の価格なのですか???

2 ② IMF(国際通貨基金) IMF(国際通貨基金) 1945年設立 かわせ ① 為替の安定 固定相場制。 こっぱい 目的 ② 為替の自由化・・・・・・ 為替制限の撤廃。 ③ 国際収支の安定・・・赤字加盟国への短期融資。 日本は 1964年、IMF14条国 (為替制限可) から ※ 1952年加盟 8条国 (為替制限不可) へと移行。 IMFがめざすものは何ですか? 川せると加 の実現 IMFは、戦争の経済的要因を通貨の側面から除去するために設立された。 だからやるべきことは、まず何をおいても1の「為替の安定」だ。そして 通貨価値を安定させたければ、 交換レートをガチガチに固定しちゃえばいい。 そ ういう目的で、IMFは固定相場制を採用したんだ。 固定相場制って、 どんな制度なの? わかりやすくいうと、 変形の金本位制だ。 この当時、世界のほとんどの国は金不足だった。 でもアメリカだけは莫大 な金保有量を誇っていた。 きん ならば、世界で唯一 「米ドルだけが金と交換できる」ようにした上で、そのド じく ルを貿易の中心通貨 (=基軸通貨)にし、各国通貨をすべて「4ドル=いくら」 で表示していけば、世界の通貨価値は間接的に金の価値と結びつくことになる。 >< む、難しい! でもゆっくり考えればわかった。 ②の為替制限とは、例えば「円とドルの交換は禁止します」 みたいな「通貨 「交換の制限」のことだ。 これがなされれば、当然貿易は縮小する。 だからIMFで は原則的には認めない。 ただし例外的に、途上国 (=IMF14条国) には認められる。 途上国の商品は 競争力がなく、輸入ばかりが増えがちになるため、場合によっては為替制限を認 めてもらえないと、 際限なく貿易赤字がふくらむ恐れがあるからだ。 日本も最初は途上国扱いだった。 でもオリンピック景気の頃からは先進国扱い = IMF8条国) に格上げされている。 このIMF14条国から8条国への移行を 「資本の自由化」というんだ。 これで正確にはp.282にも書いたように、資金 移動が自由化されるとともに、 企業進出の自由化が実現した。 も戦争要因の除去には不可欠だ。 国際収支の赤字国、 つまり金のない国は、 かくさく 局面打開のために戦争を画策する可能性がある。 だからそういう国に融資するこ とは、戦争防止につながるんだ。 ③IBRD (国際復興開発銀行) IBRDは通称 「世界銀行」 とも呼ばれ、戦後復興資金の貸付用(その後は途上 国への援助用) に設立された。 戦後復興と途上国、この2つは、どちらも気長に待たないといけない融資先だ。 だからIBRDの融資は、IMFと違って長期融資だ。 ③全世界共通??? 例えば金ないくには1月に80円 ある人には1ドル=120円と とかしょする?? 2 経済分 ただしこのシステムでは、アメリカだけが世界中からの金との交換要求に 応えなければならないため、責任重大だ。でもアメリカがそれをやってく れるおかげで、他の国は金を全然持ってなくても安心して貿易できるんだ。 350 | 第2講 経済分野 21 国際経済 1 351

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現代文 高校生

愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

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