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古文 高校生

少しでも教えて頂けたらありがたいです! 宜しくお願いします🙏

(吹き出し)に省略されている言 竹取物語〈伝奇物語》- 10 〈各1点) 「 誕図 おちて巣にも上り来ず 中納言いかがすべきと思しわづ な p6条たり 竹取物 語 「o」「さす」 「しむ」 燕の子安貝 【眉津麻呂「たばかり申さむ」 ① 「人〇 魚 を荒識に 乗せ据ゑて、鳥の、子産まむ間に、 子安貝を取らせ給はむなむ、よか るべき」 「燕、子産まむとする時は、尾 をささげての[子母のめぐ りてなむ、産み落とすめる」 女中納言は、かぐや姫と結婚するため、めったに手に入らない「燕の子安貝」を探し求めていた。 殿より使、ひまなくたまはせて、「子安の貝取りたるか」と問はせ給ふ。燕も人のあまた上りゐたるにお ちて、巣にも上り来ず。かかるよしの返事を申したれば、聞き給ひて、いかがすべきと思しわづらふに、か 解く の寮の官人、倉津麻呂と申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかり申さむ」とて、御前に参 りたれば、中納言、額を合はせて向かひ給へり。倉津麻呂が申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばか りて取らせ給ふなり。さてはえ取らせ給はじ。あななひにおどろおどろしく二十人の人の上りて侍れば、あ 中納言 喜び給ひて、夜を昼にな して取ら 給ふ しりぞ れて寄りまうで来ず。ぜさせ給ふべきやうは、このあななひをこほちて、人皆退きて、まめならむ人一人を 荒龍に乗せ据系て、綱をかまへて、鳥の、子産まむ間に、綱をつり上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむ 【古典常識平安時代の物語 「竹取物語』は、現存する日本最 古の物語である。本文の「燕の子 安貝」などの不思議なものが登場 する「竹取物語」は、伝奇物語と もいわれる。平安時代の物語文学 にはもう一つ、「伊勢物語」のよ うな和歌を中心とする歌物語の流 れがあった。 なむ、よかるべき」と申す。中納言のたまふやう、「いとよき事なり」とて、あななひをこぼち、人皆帰り まうで来ぬ。中納言、倉津麻呂にのたまはく、「燕は、いかなる時にか子産むと知りて、人をば上ぐべき」 とのたまふ。倉津麻呂申すやう、「燕、子産まむとする時は、尾をささげて七度めぐりてなむ、産み落とす める。さて、七度めぐらむ折引き上げて、その折子安貝は取らせ給へ」と申す。中納言、喜び給ひて、よろ づの人にも知らせ給はで、みそかに寮にいまして、男どもの中にまじりて、夜を昼になして取ら 回伝奇物語と歌物語を集大戒 たのが紫式部の記した「「ゴ を 」である。 一給ふ く1点)

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世界史 高校生

高一です 写真のノートを使っている人 答えを教えてください お願いしまーす

100 4.明代の社会と文化 (1) 明代の社会 2 江南地方の発展 米作の中心移動(江漸→湖広 :長江中流域)一“湖広熟すれは天下足る の 国際商業の活発化→中国国内の商工業の発展うながす →江逝(長江下流域)一綿織物や生糸を生産する家内制手工業が 生糸や陶磁器→日本や新大陸,、 p C が中心 陶磁器の生産一[ d コ一金融業, 徽州(新安)商人一塩産 ④ 社会組織 会館 公所(同郷者·同業者の相互扶助のための場所)の発達 ]による納税=各種の税を銀納に一本化 e 3 国内経済 特権商人の活躍 [2 5) 税制の改革 (3 )などの都市集中→文化人として活躍する者も 佃戸の困窮 大土地所有制の発達→小作農と地主の抗争激化(抗租運動)一郵茂七の乱(148) 6 都市の発展商人や[4 7 (2) 明の文化 0 特色 伝統的文化の集大成(実用的, 実践的で庶民的な文化) 西洋文化も流入 木版印刷による書物出版の急増→書物購買層の拡大へ J』『水滞伝』『西遊記』『金瓶梅』他 戯曲や講談 2 庶民文学 小説一四大奇書『[5 3 儒学 [6 (7 コ一官学とされ多くの注釈書が登場→形式化 J一王守仁(王陽明)が大成→学者や庶民にも広まる 「心即理」「致良知」「[8 おうようめい 」を説き,朱子学を批判 りじ ちん ほんぞうこうもく そうおうせいてんこうかいぶつ 宋応星『天工開物』(産業技術書) 徐光啓·湯若望ら『崇禎暦書』(暦学) 1宣教師による布教と科学技術の紹介 の 科学技術 李時珍『本草綱目』(薬学) じょこうけい のうせいぜんしょ とうじゃくぼう すうていれきしょ 徐光啓『農政全書』(農業技術書) 6 キリスト教宣教師の活動一[° (10 )一日本で布教 りまとう -世界地図の作成=「[12 大編纂事業一『永楽大典』『四書大全』『五経大全』 )(利瑞資)- J」 とう きしょう 6 その他 書·画一董其昌(南画) 5.明の衰退 (1) 日本の状況 織田信長,豊臣秀吉の日本統一(16世紀)←南蛮貿易の利益増 ヨーロッパの火縄銃統, 大砲の使用 豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592~93,97~98) 日本では文禄 慶長の役 朝鮮では王辰·丁西優乱 じんしん ていゆうわらん →(13 )率いる水軍の抵抗,明の援軍により日本軍撤退 江戸幕府一徳川家康の対外政策=[14 貿易を促進 東南アジアに日本町を建設 16~17世紀 中国との貿易(銀令生糸)=D利益増大 ヨーロッパ諸国の進出 →ポルトガル(拠点(15 1630年代に日本人の海外渡航禁止などいわゆる[17 )),オランダ(拠点(16 ))との争い (2) 清の建国 政策を実施~幕府統治の基礎固め (18 )(清の太祖)が中国東北地方の[19 )(満州語でアイシン)と定め建国(1616) [2 諸部族を従えて支配 →国号を[20 編制,満州文字制作 太宗ホンタイジ(位1626~43) 内モンゴルのチャハルを支配し国号を清に改称(1636) 明の滅亡「内憂一(22 )の財政再建策に対する反発 政争の激化((23 Jと非東林派の争い) 宮官の横暴 一財政難 L外患一豊臣秀吉の朝鮮侵略 女真の強大化→制圧に巨額の軍事費」 重税や飢僅のため反乱頻発→(24 )の乱(農民反乱)→北京占領 滅亡(1644)

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