けん。り
チャー ールズ1世も専制政治をつづけたので, 議会は1628 年に権利請科
(在位 1625 Tetition of Right
を提出して. 議会の同意なく課税したり, 国民を不当に逮捕・投録し
たりしないことなどを王に求めた。しかし王は, 一方的に議会を解散
だ二
チャールズ1世は, 国教の強制に反発したとスコットランドが反乱を 。
おこすと, 1640 年に戦費調達のため議会を開いた。議会が王の暴政を
Royalists
非難すると, 王は武力で議会をおさえようとし, 1642 年, 主読泊と
Parliamentarians
議会派の間で内乱がはじまった。はじめは王党派が優勢で, 議会派の
なかは早期和平を唱える黄涯と, 徹底抗戦を主張す る狂笠泌とに分
Cromwell てっ き たい 5ぅ9
かれた。狼立派のクロムウォルは ピューリタンからなる鉄騎隊を中 i
(1599 一 1658)
核に議会派の軍隊を編成して, 王党派箇をやぶった。ついでクロムウ
Levellers
ェルは, 軍隊内のより急進的な氷平派と結んで, 議会から長老派を追
しょけい
放し, 1649年に国王を処刑して, 半和政を樹立した。これが回目請
タン革仙といわれる内乱である。