世界史
高校生
解決済み

ピューリタン革命について
王党派(国教徒多数)VS議会派(ピューリタン多数)→議会派勝利→チャールズ一世処刑→コモンウェルス→チャールズ二世で王政復古→カトリック復活→審査法(公職就任を国教徒に限る)

の流れだと思うのですが、議会派は王党派に勝ったのになぜ審査法は「ピューリタンに限る」ではなく「国教徒に限る」何でしょうか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

チャールズ2世はクロムウェルが台頭している時期にカトリック教国であるフランスに亡命していて、そこでカトリック教徒となって再びイギリスに帰って王座に就きました。一方でイギリス国民は、ピューリタンであるクロムウェルの独裁政治によって、国教徒に改宗するようになりました。(ピューリタンだと娯楽禁止で仕事に集中しなければならない)
チャールズ1世まで王が国教徒、国民がピューリタンだったのがチャールズ2世のときから王がカトリック、国民が国教徒というふうになりました。
ここで、カトリック教徒のチャールズ2世が議会を無視して色々めちゃくちゃをやったので、国教徒の国民は、公職就任を国教徒に限定しました。
拙い説明ですみません!

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?

この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉