平城京と地方の支配について,次の文を読んであとの問題に答えよ。
702 年に遺唐使として派遣され, 704 年に帰国した粟田真人らが唐の都(1)の実態をも
たらすと,( 2 ) は新たな都の造営に着手し,710年に藤原京から奈良のa平城京に都を移し
た。遷都に先立ち, 政府は唐の銭貨「開元通宝」にならい, 708年に( 3 )を発行した。( 3 )
はb日本最初の本格的な流通貨幣となり,都城造営の財源確保の役割を果たした。平城京とな
らび,北九州には大宰府,東北地方には( 4 ) を置いた。また,平城京から地方にのびる道
路には,約 16km ごとに( 5 ) が置かれ,都と諸国の国府(国街) の連絡は密接になった。
律令国家は,異なる生活習慣をもち,東北地方や南九州に居住する人々を蝦夷,( 6 ) とよ
んで区別した。
(1) 文中の空欄欄に適する語句を答えよ。
下線部 a について, 平城京にみられる, 東西 ·南北の道路によって基盤目状に整然と区
画された制度を何というか。
(3) 下線部bについて, どの程度流通したかは明らかになっていないが, 日本最古の銅銭は7
世紀後半の天武天皇の時代にさかのぼるといわれる。この銅銭の名称を答えよ。
(1) 1 長安
2 元明天皇
3-和同闘
4 %賀城
5 駅家
6年人