学年

教科

質問の種類

古文 高校生

模試とかにでてくる初めてみる古文、漢文の問題だと全く内容が理解できなくて全然答えがあいません、😢 読解するのにポイントとかアドバイスあれば古文、漢文、どちらか片方だけでもいいので教えてくれませんか、??

聞きたり。 げんろく ばんじゅう あこう あきのたくみのかみながり とか こうずすげよしなが あだう 元禄十四年(一七〇一年)、江戸城内において、播州赤穂藩の藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りつける事件が起 浅野内匠頭は切腹のうえ、赤穂藩は取りつぶしとなったが、吉良上野介には何のお咎めもなかった。この処置に納得で きない浅野家の家臣四十七人は、元禄十五年十二月十四日に吉良邸に討ち入り、上野介を討ち取って主君の仇討ちを果たした。 彼らは死後「赤穂義士」として浅野家の菩提寺である泉岳寺に葬られた。本文に登場する、堀部弥兵衛、 安兵衛もこの赤穂義 士の一員である。これを踏まえて次の文章を読み、後の問いに答えよ。(配点 三〇) ぼだいじ せんがく 堀部弥兵衛が娘を幸といふ。かねて安兵衛を養子として変せんとする折から、国亡び、復讐の挙に及び、父の弥兵衛も夫の 安兵衛も、ともに世に亡き人となりにけり。これより前、かの復仇を思ひ起こしける志願に、母を伴ひ諸国の寺社に詣で、昨年 冬、伊勢の松坂にて、吉良家を襲ひ志を遂げたりといふことを聞き、喜びつつ京師にのぼりしころ、父子とも死を賜ふよしを (注3) ゆあみ (注2) においては、自分の僧江戸にありて一寺の住職たるに尋ね行きて、尼とならんことを願ひけるに、この憎もただ人に はあらで、「明日になりてともかくもせん」とて、その夜死者に沐浴さする所に入れて、ひさしめ試みるに、つゆばかりも恐るる 思なく、 こころよく寝なければ、「さては出家は遂ぐべし」とて、戒を授け法を伝へ、妙海と名付く。 (注5)しば しつつけ (注7) (注4) あうかい この後に芝泉岳寺の義士の墓の傍らに、かたばかりの庵を結び、父夫及び諸士の後を懇ろにとぶらひけるが、なほもと 僕の家の絶えたることを深くきて、官に訴ふることしばしばなければ、後には「なほこのうへ訴へ出でば、遠島の罪にも 打はるべし」とありしに、強ひてまた訴へければ、すでに罪に落ちんとしを、ある方の恵みをもて免れたり。ひたすら訴ふる とおよそ二十度にあまれりとぞ。 (200) arewe B - はな よってせめて志にとて、墓の前に常をかかげしに、 所縁ある諸侯より油の料、及び米・・のたぐひ絶えず与へふに より、乏しきことなし。 折々は盗人に奪はるることありしが、さる けしきを見せず、布施多ければ、貧しき者をして、己は ぬすびと 租服を身にまとひ、常燈をわざとして生涯を送れり。 あんたう (注6) あこうぎしてんいっせきわ 「赤穂義士伝一夕話」による)

解決済み 回答数: 1
古文 高校生

④の部分はなぜ反語になるんですか?それと、途中でなぜ「ものを」ってはいるんですか? ちなみに答えは、夢の女と共寝するのであればつぎはぎの粗末な寝具でも着ようものを。裏地を紅染した紅裏や高級な絹の綿入れの小袖も心寒い独り寝では何になろうか、いや何にもならない。です

今に人の裏屋となりにけり。 T O 有清れしも ロ 行く水の流れは絶えぬ鴨川や、恋の中川かへりみる。心ぼそくも長縄手を、手繰り手繰りと歩み行く。とある岸陰にいぶ# 藁屋の、誠にこの内にも住まれけるかと、主従立ち寄り見侍れば、まことに浅ましげなる乞食の夫婦 静ふ也。猶其の事を聞 いれば、怪気がましき事のみ也。主従同じく心に思ふ様、「実や昔より、高き卑きも、知あるも愚かなるも、此の道に迷ふ例 なきにあらず。あのさもしげなる女を、誰ありて袖引かん」など、言ひ侍れば、友名の日はく、「其の方が言へるは、ただ襟付に て真の恋路にはあらず、彼の穴玉敷ける家も何せん八重はえたる宿に妹とし住まば、など詠めるこそ本意ならめ」とて、彼の 素性法師が、や手向には綴りの袖も切るべきを紅葉に飽ける神や返さん、と詠ぜしを、翻案して、 こつじき いさた ためし トリ e. (注2) (型)S Vs w A 4 和 (注4)(注5) 抱き合はば綴れの夜着も着るべきに紅裏 小袖寒き独り寝 と続け給ふも我が身につまされてやと情 多し。其の時是楽言ふやうは、「友名公はよく此の道の筋知り給ふものかな。さあらば 其の乗物を下り給ひて、あの詳ひあつかひ給ふべし」と言へば、友名も口にてこそかくの給ひけれ、さすが手づから取りあつか ふまでは少し掛 敵あれば、是楽、 e. されな こさか二 2 J二れる とりさゆる人なき犬婦 詳ひは中直りをば如何にするらん

解決済み 回答数: 1