文化論?|
『「集団主義」という錯覚』商野陽太郎
出題 小樽商科大学
[解答·解説は本冊の127ページ]
つぎの文章を読んで、あとの問いに答えなさい。設問の都合により、原文を改めた箇所がある。
戦後日本の歴史を綴った著作「敗北を抱きしめて」でピューリツァー賞を受賞したアメリカの歴史家ジョン·ダ
ワーは、「集団主義的な日本人」というイメージについて、これは日米合作の「オリエンタリズム」であり、『ジッ
イとは違う。という見解を述べている。
デオリエンタリズム」というのは、パレスチナ系アメリカ人の文学研究者エドワードサイードが著書「オリエン」
タリズム」のなかでつかって有名になった言葉である。こんにち、この言葉は、だいたいつぎのような意味でつか
われることが多い。…「オリエント」を支配の対象としたヨーロッパが、事実にもとづいてではなく、みずからの
願望にもとづいて、「オリエント』に、ヨーロッパとは対照的でエキゾチックな、そしてヨーロッパより劣った特質
を見いだした、その認識のありかた。」
日本人=集団主義」説が成立した。ケイイをしらべてみると、この説は、ダワーの指摘どおり、「オリエンタリ
ズム」としての資格を充分にそなえているようにみえてくる。「日本人=集団主義」説は、日本人についての正確一
な観察から生まれたものではない。まず、欧米人の側に「個人主義」というイデオロギーがあり、それとは対照的
なイメージを日本人に投影した結果、生まれた説なのである。
(暴号)
満 る い
<「オリエンタリズム」は、ヨーロッパ人がつくりあげるものである。だが、「オリエント」のほうにも、それを受」
けいれ、その確立にっキヨするひとたちがでてきて、結局、「オリエンタリズム」は、ヨーロッパ人と「オリエント」
人の「合作」になる。その点でも、「日本人=集団主義」説は「オリエンタリズム」の資格を充分にそなえている
といっていいだろう。
オリエンタリズム」という観点からみれば、「集団主義的な日本人」を観察していたとき、欧米人は、自分が見
たいものを見ているにすぎなかったということになる。「集団主義的な日本人」、「集団主義的なアジア人」という
見解は、。すでに確立している強固な図式にうまくあてはまり、しかも、欧米人の自民族中心主義をくすぐるので、
新たな衣装をまとって登場するたびに、欧米では、即座に“コウハンな支持を獲得することになるのである。
マネディクトの「菊と刀」がたちまちにして「古典」の地位を確立したのは、その一例である。集団主義·個人」
主義についての国際比較研究がさかんになったときにも、データは「日本人 = 集団主義」説とまったく一致してい
なかったにもかかわらず、研究者たちは「集団主義的な日本人」について語りつづけた。西ヨーロッパに起源をも
つ文化を個人主義的な「相互独立的自己観」、それ以外のすべての文化を集団主義的な「相互依存的自己観」と色
分けしてみせた自己観理論も、ヨーロッパ系アメリカ人の自民族中心主義が明白であるにもかかわらず、あるいは、
おそらくそうであるがゆえに、アメリカの心理学界では、短期間のうちにきわめてコウハンな支持を獲得すること一
に成功した。
「個人主義」が、欧米、とくにアメリカの自己己賛美イデオロギーだとすると、劣位におかれることになる日本人
自身が「日本人=集団主義」説を唱えてきたことは、一見、*キイに感じられるかもしれない。しかし、明治以来、
日本の知識人が欧米の思潮を受けいれつづけてきたこと、また、欧米の観点から日本を批判することによって日本一
を欧米風に「改善」しようとする伝統がつづいてきたことなどを考えあわせてみれば、じっさいには、これはすこ」
回 o
文化論の「「東団主義」という錯覚」高野陽太郎
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