(5)漢帝国の成立と発展
)(前202年~後8年)…首都: 長安
0(P
(a)代々楚の将軍の家柄に生まれた ("
一劉邦(漢の高祖)、 中国を統一。
)と農民出身の (1"
)の対立
こうそ
(b)高祖の政治…秦の失敗を繰り返さないように急激な改革を避けた。
)(郡県制·封建制の併用)
○旬奴に敗北し和親策→国力の充実、 基礎の確立に努めた。
(c)最帝(6代目)の時代…呉楚七国の乱(前154年)→鎮圧後、中央集権体制が確立、
)の政治(前141年~前87年)
7代目、中央集権体制の確立。前漢の最盛期。
○四方[勾奴(敦煙など4郡設置)、西城(張築を大月氏に派遣)、 朝鮮 (楽浪
とんこう
ちょうけん
だいげっし
らくろう
など4郡設置)、ベトナム (南海など9郡設置)] に軍事遠征
○儒学の官学化(童仲節のすすめ)
とうちゅうじょ
きょうきょりせん
○郷挙里選の実施…推薦制の官吏任用制
○領土拡大等による財政難の打開策
マ均輸法=各地の特産物を徴収して不足地に転売し、 政府の収入の増大と
物資流通の円滑化 物価の調整を図った。
マ平準法=物価の低落時に物資を買い込み物価高騰時に売り出し、政府の
収入の増大と物価や需給の調節を図った。
V塩·鉄·酒の専売制
(e)滅亡…重税、売位 売官→社会不安を招き、外戚の王茶により8年滅ぼされる。
おうもう
おうもう
王茶は新を建国。赤眉の乱(18年~27年)
せきび
→23年、新滅亡
)(25年~220年)…都: 洛陽。 25年(9
)の統一
(a)劉秀 (
)の政治(内政重視、対外消極策)…善政
(b)光武帝以降の対外政策
○何奴征討→西域経営…西域都護の班超の活躍=部下の甘英を大秦国(ロー
帝国)に派遣一166年大秦国王安敦(マルクス=アウレリウスーアントニヌス帝)使者米る。
(c)後漢の滅亡
だいしん
あんとん
とうこ
○党鋼の禁(166年·169年) 官官が官僚を弾圧。→官官が大きな権力をふるう。
※官官とは、後 宮の雑務などにあたった去勢された男子のこと
○豪族の台頭→社会不安増大
かんがん
V184年~約10年間 黄巾の乱(農民反乱) 3宗教結社太平道の首領張角が指導
こうきん
○220年 魂に誠ぼされる。
(1)東アジア世界の政治構造