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日本史 高校生

なんの日本史の参考書か分かる方いらっしゃいますか?

30 ワシントン体制と大衆文化 ポイント整理 ヴェルサイユ体制とワシントン体制 〈パリ講和会議で対象外となった東アジアの秩序作りがワシントン (1) パリ講和会議 (1919) 日本全権: 西園寺公望, 牧野伸顕ら ① 指導理念米大統領」 の14カ条 ex. 国際平和機関設立民族 ② 欧州の戦後秩序を中心にヴェルサイユ条約締結 - ドイツに巨額賠償金、軍備制限、本国一部割譲 東欧に多数の独立国 民族自決主義 ・日本の獲得権益 ( 解消要求) イ 赤道以 の旧ドイツ領南洋諸島の (2) 国際連盟の成立 (1920) 初の国際平和機関 会 9 0-1-1+ 12 ワシントン 省の旧ドイツ権益 [4常任理事国〕英・仏・伊・8 ( 提唱国アメリカは非加盟) しては しゅうろう いえと (3) ワシントン会議 (1921~22) 日本全権: 加藤友三郎海相,幣原喜重郎, 徳川家達ら 提唱国アメリカが日本の膨張阻止と東アジアの安定化を企図→下記のほか, 日本はシベリア撤兵 カ国条約 〈日米英仏〉 カ国条約 〈日米英仏伊・ 414 FS 革新 倶楽部 ポルトガル・ベルギー・中〉 15 政友会 超然 22 政党政治の実現 <第一次世界大戦後の流れの中で普通選挙・政党政治の実現を位 立憲 内閣支持母体) 内政・外交 1918 原敬 1919 (立憲政友会) 1920 16 (反対) (立憲政友会) かとうとしょう 加藤友三郎- (政友会など) 1921 条約 〈日米英仏伊〉 主力艦保有率制限・・・米英 5日 13 1922 の (政友会、貴族院) 1923 高 (賛成) 揚 (反対) *普選運動 (検討) 大正後期 対外的には大戦後のアジアのルールとしてのワシ トン体制、国内では普選運動その他の社会運動の高場に着目 (影響) -->3 etc. 統治 ACE 朝鮮半島 18 運動 (万歳事件) ・・独立宣言。日本軍・警察が 中国 講和会議に二十一カ条の要求の解注 →無視され, 調印拒否 運動の発生 ・・・・北京大学から日貨排斥 排日運動が全土に拡大 太平洋の平和維持 10 同盟協約の終了 中国の主権尊重・門戸開放機会均等の確認 →山東省権益の返還, 石井・ランシング協定 : 仏伊1 ウィルソン14カ条 →民主主義の風潮 社会運動の勃興・・・普選は共通課題 労働運動... 日本労働総同盟など 農民運動・日本農民組合が指導 第一次世 ヴェル 社会主義・・・ 無政府主義・共産主義など 女性解放運動・・・ 新婦人協会など 部落解放運動・・・ 全国水平社 関東大震災・・・ M7.9。 死者10万人・行方不明4万 甘いだん 住民の自警団により数千人の朝鮮・中国人 かわいさ 亀戸事件… 亀戸署内で労働運動家10名虐 甘粕事件… 憲兵甘粕正彦が無政府主義者大 44 It せっしょ 事件・・・無政府主義者の難波大助が,摂正 Il

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日本史 高校生

問3の問題でyが誤な理由を教えて欲しいです。 解答は2です。

日本史練習問題センター試験 2009年度本試験 近代日本における代表的な外交官の一人であり、政治家としても活動した幣原喜重郎に関する 次の文章を読み、後の問いに答えなさい。 A 1872年 現在の大阪府に生まれた幣原喜重郎は、大学卒業後外務省に入省し、外交官として の経験を重ねた。第一次世界大戦下において外務次官に就任し、その後の内閣においてaロシア 半命に対する日本軍の介入の事後処理などに従事した。その後駐米公使としてアメリカに赴任し た需原は、ワシントンで実施された国際会議において全権の一人として出席し、b 海軍軍縮およ び中国大陸·太平洋における列強諸国との権益調整に尽力した。 問1下線部a に関して述べた次の文XYについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを一 つ選びなさい。 X 日本は、イギリスなど他の派兵国よりも長期にわたって介入を継続した。 Y この軍事介入の影響で、国内の米価が下落し、困窮した農民が全国で騒優をおこした。 0 X 正Y正 2 X 正Y誤 ③ X 誤Y正④ X 誤Y誤 問2下線部bに関して述べた次の文について、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ 選びなさい。 I 国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。10 II 補助艦の総保有量を英·米の約7割とすることに合意した。 I 主力艦保有量を英·米の5分の3に制限することに合意した。 192 2 I→II→I I→I→I 5 I→I→I 6 Ⅲ→Ⅱ→I Bc原が外務大臣として活躍した機関は、 一時の中断をはさんで1924年から 1931 年までの長 い期間にわたるが、その間の外交方針はほぼ一貫しておりd「幣原外交と呼ばれた。軍縮条約 への取り組みなどにこうした姿勢は顕著である。 しかし、このような常源の外交方針は、対立勢 カやe中国における日本軍の行動によって妨げられることになる。最終的に 1931 年、陸軍が中 国東北部でおこした軍事的行動なとどによって、 幣原の外交路線は 問3下線部cに関連して、 1920年代の日本は国内で社会運動が活発化した時期としても知られて いる。次の表を参考にしながら、 この時期に農村で起こった小作争議に関して述べた下の文XY について、その正誤の組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。 x 普通選挙法が成立した前後の両年を比較すると、 小作争議件数は増加をみせたが、その後は 一時的に減少した。 Y 世界恐慌の影響が日本に波及した結果、困窮した農民による個々の争議が大規模化する傾向 がみられた。 0 X 正Y正 ② X 正 Y 誤③ X 誤Y正④X誤 Y 誤 した。 小作争議の件数と規模 項目|小作争議件数参加小作人数|1件当りの参加 B 年 A 小作人数B/A 1920年 408 34,605 84.8 1922年 1,578 125,750 79.7 1924年 1,532 110,920 72,4 1926 年 2,751 151,061 54.9 1928年 1,866 75,136 40.3 1930年 2,478 58,565 23.6 1932年 3,414 61,499 18.0 (安藤良雄編『近代日本経済史要覧(第2版)』より作成)

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