学年

教科

質問の種類

数学 高校生

やり方教えて欲しいです😭

学習した日 月日 ( 2次方程式 38 2次方程式の利用(1) 立宜野 項 18m, 横9mの長方形の花畑に 右の図のような同じ幅の道をつくり たい。 花畑の部分の面積を42m²に (目標 具体的な問題を2次方程式を利用して解くことができる。 9m- DOD DD> DDDD xm =0の解が3 -4)=0 ると、 2=0 5. a. D> するには,道の幅を何mにすればよ 8m いですか。 (1) 道の幅をxmとすると, 花畑の縦の 部分は (8-x) mと表すことができる。 横の長さを表す式を求めなさい。 xm 宜野湾市立嘉数中学校 基本事項 2次方程式を利用して問題を解 <手順 ①求めるものをェとおく。 ②数量間の関係をつかみ、2次 方程式を立てる。 ③ 2次方程式を解く。 ④求めた解が問題の答えに適し ているかどうかを確かめ, 答 えとする。 きは、そのわけも書く (2)面積が42m²ということから, xを求めるための方程式をつくりなさい。 問題に適していない解があると (3)(2)でつくった方程式を解いて道の幅を求めなさい。 道幅が8m以上になる ことはあり得ない。 練習② 縦が36m, 横が45mの長方形の土地に、 右の図のように、 縦, 横同じ幅の道路をつけて残りを畑にしたい, 畑の面積が 1540m²になるようにするには道路の幅を何mにすればよい ですか。 (1) 道の幅をxmとして縦と横の長さを表す式を作りなさい。 もうに 縦 m 横 (2)面積が1540m²ということから, 方程式を作りなさい。 36m xm -45m xm m 道路を確認 1 のように移動し ても畑の面積は変わらない。 (3)(2)の方程式を解き、 道路の幅を求めなさい。 もう! 練習3 1辺がxcmの正方形の縦の長さを4cm短くし, 横を2倍にすると, 面積が90cmになった。 もとの正方形の面積を求めなさい。 xcm xcm xcm 4cm 自己評価 (5) とても まあ, できた できた

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

回答募集中 回答数: 0