易商社の建物があって,商人が常駐していました。
貿易と違って様々な人が参入し、貿易は拡大していきました。そこで、
こくじん
つしま
そう し
胡鮮政府は対馬の宗氏を通じてこれを統制しようとします。
ロ本からの貿易船は「歳遣船」と呼ばれますが,文字通り,1年間に派
さいけんせん
潜することができる船数を協定で決めていきました。 常に, 日本側は船
数をもっと増やしてほしい,朝鮮側は拡大を抑えたい,という状況が続
きます。朝鮮政府は,歳遣船の入港地を3つに制限してきました。これ
さんぼ
を三浦といいます。
ふ ざんほ
富山浦二
01t
ないじ ほ
三 浦├乃而浦
えん
塩浦
塩 浦
ア而瀬。富山浦
わ かん
朝鮮半島のこれら三浦には「倭館」と呼ばれる日本商人の住む一種の堂