三次の文章は、江戸時代の歌人・国学者の橘曙覧の私家集 『志濃夫廼舎歌集』の一節である。これを読んで、後の問に答えよ。
(配点 五十点)
みとせよとせ
たちばなあけみ
(注1) かうせつ
(注2) ふよう
ふじさん
今は三年四年もや過ぎつらん、松井暁雪がもとにて、書画どもあまた見わたしけるなかに、高嶋芙蓉の描きたる不尽山の画、
979+
このごろわづらひて
誰とどまりて欲しく思分けれど、かくともえ言はでや乱にけるを、
何
ごともただもの愛く
思
はるるまにまに、
(注3)
夜昼、びきかづきでのみありければ、心のうち、いよよものさびしくなりもてゆきつつ、はかなきことどもいたづらに恵
あぐらさるる癖なん、あやにくなるにつけ、ある夜、秘覚めに、ふと、この不尽の画、にはかに見まほしうなりけるにより、い
強ひたるわさにはあれど、かの画、譲りくるべく、夜明くる待ちてたよりもとめ、雪のもとにそのよし言ひ
とあぢきな
や
(注4)
りけるに、映雪、すみやかにうべなひて人して持たせおこせたりけり。
言ひやりは、やりつるものの、いかがかへりごとすらんと思ひわづらひてありけるほどなりければ、画取り出だすとひとしく、
病も何もうち忘れ、やがて壁にかけさせて、しばしは目も放たでぞあんし。
かた
痩せ肩をそびやかしてもほこるかな雲ゐる山を