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1B)
(文章Iの方が誤りである
「花に鳥をつけない」という兼好法師の説は誤りだて梅の作り枝に雑をつけて贈ったというエ
キト|(鑑) 体
ラ四(謙)·体
むかし、おほきおほいまうちぎみときこゆる、おはしけり。つかうまつる男、長月ばかりに、梅の作り枝に、娃をつけて奉る
昔、
ラ四(議)
太政大臣と申し上げる人が、
いらっしゃった。お仕えする男が、
九月頃に、
梅の作り枝に、
姓をつけて献上する
とて
ということで、
ここに「きじ」が隠されている
打消·体 断定·用一
我たのむ君がためにと折る花はときしもわかぬ物に ぞありける
私が頼みにするあなたのためにと思い折る花は、季節の区別がないものであったのですね(私は時の区別なく、いつもあなたにお仕えしましょう)。
完了·用
とよみて、奉りたりければ、いとかしこくをかしがり給ひて、使ひに禄たまへりけり。
と詠んで、
州
献上したところ、
(太政大臣は)並々でなく面白がりなさって、使者に(男への)ぼうびをお与えになった。
【文章1】
長 vヤ
、まのかみやすまさあそん
夫木抄第三、家集中、右馬頭保昌朝臣のもとに、梅の枝に難をつけて送るとて、祭主輔親
『夫木抄』第三巻の、家集の章の中で、右馬頭保昌朝臣のところに、梅の枝に姓をつけて送るということで、祭主輔親の歌
すけち会」
春の野のきぎすの羽風あふげどもねぐらの梅はちらずぞありける
春の野原の姓の羽風であおいでも、鷲のねぐらの梅は散らないでいたなあ。
やれづれ草に、「花に鳥つけぬ」といふ説を書きて、ここを引きて、作り技なれば、つくるかといひたれど、夫木抄の歌によ
『徒然草」
木抄」の歌によると、
、「花(の咲いている枝)に鳥はつけない」という説を書いて、この部分を引用し、「(これは)作り枝なので、鳥をつけるのか」と述べていたが、「夫
打消·体
当然·止
れば、「つけめぬ」といふは、すべて誤りなるべし。 点やさ
譜規(花の咲いている枝に鳥は)つけない」というのは、全くの間違いであるに違いない。
十余りの
つ。
【区崎目)
。宗物不輔。六塩酢の
小る主人公中心
平
按ずるに、つれづれ草に云ふ、「岡本の関白殿、さかりなる紅梅の枝に、鳥一双をそへて、この枝につけて参らすべきよし、
考えてみるに、「徒然草」に言うのは、「岡本の関白殿が、
盛りの時期の紅梅の枝に、
一対の鳥を添えて、 この枝につけて献上せよという旨を、
枝にふたつつくる事も存じさぶらはず」と申しけ
枝に二羽をつけることも存じません。」と申し上げたところ、
O
たかがひしもつけののたけかつ一
御膨飼下毛野武勝に仰せられたりけるに、
御鷹飼の下毛野武勝にお命じになったところ、(武勝は)一
サ下二(謙)·命
れば、膳部に尋ねられ、人々にとはせ給ひて、また武勝に、「さらばおのれが思はんやうにつけて参らせよ」と仰せられければ、
白殿は)料理人にお尋ねになり、人々に問いなさって、また武勝に、「それならばお前が思う通りにつけて献上せよ。」とお命じになったので
腕曲,体
せん ぶ
に けるやませ。