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古文 高校生

G:なむ H:ける なむは連体形につくことはわかるのですが、その連体形が何なのかがわかりません。 けるは、ここは終止形が入ると思ったのですが、なぜ連体形なのかがわかりません。 なぜそのようになるのか、教えていただきたいです よろしくお願いいたしますm(_ _)m

104 2017年度 国語 専修大 全学部統一 (注4)おとがひ G みぎは なにわざ ひら ひざ りたるを見れば、汀に平らなる石のある上に登りぬ。 何業するにかあらむと見れば、虎の左の前足、膝より下切れてなし。 血出で ぬ。海に落ち入りつるに、鍵の食ひ切りたるなめりと見るほどに、その切れたる足を海に浸して平がりをり。 (注3)わに A. のけ しかる間、沖の方より、鍔、この虎のゐる方をさして来たる。来て虎にかかると見るほどに、虎、右の前足をもつて鰯の頭に 爪をうち立てて、陸ざまに投げ上ぐれば、一丈ばかり浜に投げ上げられて、ざまにて砂の上にのためくを、虎走り寄りて、 鯛の顔の下を踊りかかりて食ひて、二三度ばかりうち振ひて、弱るきはに、虎目にうちかけて、手を立てたるやうなる巌の、高 五六丈ばかりあるを、いま三つ足をもつて、下り坂など走り下るやうに走り登りて行きければ、船の内にある者ども、これを見 E 心地 いは 「さは、この虎のしわざを見るに、船に飛び入りなましかば、我らは一人残る者なく皆食ひ殺されて、家に帰りて妻子の顔も見 (注5) きゆうせん ひゃうちゃう で F まいみじき箭・兵仗を持ちて、千人の軍防ぐともさらに益あらじ。いかに況むや狭き船の内にては、太刀、刀 を抜きて向き合ふとも、さばかり彼が力強く足の早からむには、何業をすべきぞ」とおのおの言ひ合ひて、肝心も失せて、船漕 ぐそらも無くてなむ、鎮西には帰り来たりける。おのおの妻子にこのことを語りて、あさましき命を生きて帰りたることを 喜びける。ほかの人もこれを聞きて、いみじくなむ恐怖れ H 。 これを思ふに、鯛も海の中にては猛く賢き者なれば、虎の海に落ち入りたりけるを、足をば食ひ切りでけるなり。それによしな くなほ虎を食はむとて、陸近く来て命を失ふなり。しかれば、よろづのこと、皆これが如くなり。人これを聞きて、「余りの事は やむべし。ただ、よきほどにてあるべきなり」とぞ、人語り伝へたるとや。 (注1)鎮西・九州の総称 いはほ (「今昔物語集」による)

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古文 高校生

この文のaの波線が引かれているところで、この「ん」の文法的意味は意志なのですかなぜ意志になるのかが分かりません。。🥲 しかも推量や意志や適当勧誘は文末にきて、仮定や婉曲は文中にくるのではないのでしょうか、??なぜここで意志がでてきたのか教えて欲しいです😔🙇🏻‍♀️՞

接続 文法 の文章を読み、あとの問いに答えよ。 おなじ心ならん人としめやかに物語して、 をかしきことも、世のはかな (自分と同じような心の人と ちょっとした なぐさ きことも、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじけ 打ち解けて話して心が慰められたとしたら たが a~ れば、つゆ違はざらんと向かひゐたらんは、ひとりある心地やせん。 (相手に)少しもそむかないように いないだろうから 互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささ 言おうとするほどのことは なるほど 聞く価値があるものの か違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さ そうだから 少し 5 そう ぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつかたも、 なのだ 退屈も慰められるだろう 実際には 不平を言うところも ひと おほか 真実の 我と等しからざらe 人は、大方のよしなしごと言はんほどこそあら とりとめのないことを話している間はよいだろうが まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

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