【文芸論】
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
この数年、小説原稿を書くことが原因で私は強迫神経症、及び神経性胃潰寡を患い、苦しんで
いる。しかしも早、私には書くことは宿命である。この逃れられない悲しみの、ホッタンにある
のが、いまから三十七年前の初夏の夜、森鴎外の「高瀬舟」を読んだことである。
すぐれた文学作品は、人の生き方を変える力を秘めている。それ迄の私は将来、判事になっ
L5
て悪い奴に死刑の判決を下すか、または検察官になって被告人に死刑の論告求刑を行うことが夢
だった。一ア _、極悪人を絞首台に送ることを願っていた。ある種の正義派だったのである。
イ、田舎の高等学校三年生の六月、学校の中庭の芝生の上で、級友たちが、「あれは罪や。」
「いや、そうやないわよ。」と果てしない議論をしているのを耳にした。よく聞いていると、鴎外
の「高瀬舟」の主人公·喜助が犯した弟殺しが罪かどうかを議論しているのである。人殺しは罪
ではあるけれども、しかし場合によっては罪ではない罪があるらしい。それはどんな罪だろう。
私は俄かに強い好奇心を覚えた。
その日、学校からの帰り道に本屋へ寄って文庫の「高瀬舟」を求め、夜、むさぼり読んだ。
『恐ろしい小説だった。話の筋は、こうである。
はた
京都西陣の機屋に空引という仕事をしている、貧しい兄弟があった。給金が安いので、かつか
つ生きているような生活だった。ところが弟が重い病気に羅った。弟は兄·喜助の足手まといに
LO