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化学 高校生

この問題文の一行目の希塩酸にも水酸化ナトリウムにも溶けないというのは中性であるという認識で良いのでしょうか?それと、途中の水素の体積の記述がありますが、Cが67/22400molあるということで良いのでしょうか? 教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。

7-3 【復習問題】 CHNO2 の構造決定 6/6 7/15 有機化合物 A~Eに関する次の文を読んで, 以下の問1~5に答えよ。 化学反応式中の有 ~ 機化合物は構造式を用いて記せ。 AはC-HNO2の分子式をもち,かつ, 希塩酸にも水酸化ナトリウム水溶液にも溶けないパ ラ置換ベンゼン誘導体である。 Aを二クロム酸カリウムの硫酸酸性溶液と長時間加熱した 後,反応液を冷やすとBが析出した。 Bは水に溶けにくいが, 炭酸ナトリウム水溶液に発泡 しながら溶けた。 (b) (a) Bをエタノールに溶かし, その溶液に塩化水素を通じると, 中性物質Cが得られた。 0.195g の C を溶液にして適当な触媒とともに密閉容器中で水素により還元した。この反応で、 Cは標準状態(0℃, 1.013 × 10° Pa)で約67mLの水素を吸収し,Dに変化した。(c, D を希塩 酸に溶かし,冷やしながら亜硝酸ナトリウムと反応させ, ついで, (d) この溶液をナトリウムフェ ノキシド溶液に加えると,有色の化合物Eが生じた。 した後、 テルで抽出し、 問1 A~Eの構造式を記せ。 問2 下線部(a)の反応を化学反応式で示し,この溶液からBを取り出す最も適当と思われる 方法を,次の(ア)~(オ)の中から選び、 その記号を記せ。 (ア) 多量の水を加える。 (イ) 水酸化ナトリウム水溶液を加える。 (ウ)二酸化炭素を吹き込む。 (エ) 塩酸を酸性となるまで加える。 (オ) エタノールを加える。 問3 下線部(b)の反応における塩化水素の役割を記せ。 また, 塩化水素にかわりうる物質の名 称を一つ記せ。 問4 下線部(c)の反応を化学反応式で表し,また,この反応の名称も記せ。 問5 下線部(d)の反応を化学反応式で記せ。

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日本史 高校生

近世の城下町は、大名の居住地や政治的中心という本来の機能以外にも、機能を有していた。近世の城下町のこうした機能またははたらきについて、本文の記述を参考に、居住区の区切り方、どんな業種の人々が流入し、どんな人々の生活を支えるようになっていったのか、やがて何の拠点になっていたの... 続きを読む

の許可証を のために江戸 唐人屋敷が 地域の窓 とよとみひでよし 近世の城下町, 豊臣秀吉が全国を統 した1590年代から天下が徳川家に移 った1610年代を中心として、日本列島各 地でいっせいに建設された。強大な権力 を手にした武士によって都市計画がなさ れ, 全国で共通する性格を持った都市が ほぼ同時につくられた。 このような出来 事は、世界史レベルでみてもきわめて珍 しいといえる。ここでは信濃国飯田藩 (現在の長野県飯田市)の城下町をみてみ よう。 てんりゅうがわ しなの だんきゅう 飯田城は,天竜川に近い段丘の上に建 くじょうか 設された大規模な城である。 城の西と 北に連続して武家が広がり、 さらに連 ちょうにんち 城下町 ・貿易で れ、 されな 人が 続して町人地がかれた。 これらを取り 囲むように多くの寺院が連なり、武家地 の一部はさらに町人を囲んでいた。そ 近出の城下用) [アイナ パタ20 33 るい の外側には土塁と海がめぐらされ、村との境とな っていた。このような配置は地理上の影響を受け ていたが, 身分に応じて居住地を区切る方法自体 は、近世の城下町に共通している。 飯田にはおそくとも戦国時代に城があり,小規 まちば p.112 はいじょう まつ 飯田 92 鯨団殿下町かれる定期市で商人たちに分配さ られ、彼らは高畑の農村でそれらを売りさばいてい きょてん た。 城下町には民衆相手の商売で財をなした商人 がならび、近世後期には地方文化の拠点ともな った。 模な町場が付属していた可能性もあるが,このよ うな本格的な都市の建設が可能となったのは, 1590年代を中心に, 周辺の村々から大勢の人々が 集まってきたからである。 寺院はいずれも,もと もと周囲の村々に置かれていたのが,この時期に 移転したものである。 町人地についていえば,松 尾町一丁目と知久町一丁目は,それぞれ近くにあ った戦国時代の城 (松尾城, 知久平城) が廃城とな るのにともなって, そこにあった町場が移転した からとみられる。 このほか, 周辺の農村に暮らす 人々のなかから町場に引っ越した者もいたとみら れ、伊勢商人が引っ越してきたとの伝承もある。 このことは,戦国時代までに地域の内外で,商工 業がある程度展開していたことを物語っている。 城下町の商工業は、藩主やその家族、そして家 臣団などの生活をささえることを目的としていた が、周辺の村に暮らす人々の生活もささえた。た とえば、三河国から大量にもたらされる塩や魚が, はんしゅ 現在の地方都市の多くは近世の城下町にルーツ がある。身近な事例をもとに,都市の歴史を探っ てみよう。 ↑1960年の知久町三丁目 (飯田市歴史研究所蔵) 近代以後, 飯田は地元の政治、経済、文化の中心として発展した。

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現代文 高校生

高二国語 2枚目の青の問4 答えは3枚目で、青の四角で囲った「多大な税金を投入している」の内容を加えるか迷いました 「この陥穽」の前が課税の話に近いので必要かなと思いました。なぜ模範解答は課税の内容に触れていないのですか?

ふたつの誤り 私たちは科学の知を客観的な真理を示すものだと考えている。それは仮説→検証 →法則化という近代科学の方法に対する信頼によるものだ。しかし、本当にそこ に誤りはないのか。 今、改めて科学とは何かが問われているのだ。 私たち研究者は、研究を進めるにあたって仮説というものを立てます。 仮説と は、仕組みのあり方です。このような仕組みが存在すると考えれば、さまざ まな現象をうまく説明できる。 そのこのような想定を仮説と呼びます。 たとえば、昔の人は、精子の内部に小人が足を折りたたんだ体育座りで潜ん ふくおかしんいち ・福岡伸一 50 ひもと んでいるという仮説を立てました。 そう考えれば、受精と発生という現象をうま 説明できる。 その小人が子宮でだんだん大きくなってヒトになるのです。 実際、 顕微鏡で精子を観察するとそのような小人が見えたという科学者まで現れました。 仮説は時として、人間の観察眼を曇らせてしまいます。 曇らせるばかりでなく ある方向に導いてしまいます。それをバイアスといいます。 科学史を絡くと、今 から思えば実にこっけいな仮説に、当時、一流の一流とされた科学者たちがとら われて多くの迷走が生まれました。 精子の仮説もそのひとつです。 しかし当時は まじめ みんなが大真面目で議論しあっていたのです。 そして実のところ、人間の思考は それほど進歩しているわけではないのです。 確かに精子の中には小人が体育座りしているわけではありませんでした。 そこ 2 に座っていたのは父方から来たDNAでした。 それが母の卵子のDNAと合体す ると発生が開始されます。 しかし、わかったのはそこまでです。一体どうしてそ こからヒトが形作られてくるのか、 その仕組みのあり方は今のところほとんどす べて仮説の域を出ません。 そして、私たちは今、精子の小人仮説を笑ってはいま すが、分子生物学の最先端にいるような気がしても、未来の人びとからみれば害 にこっけいな仮説に拘泥しているに違いないのです。 うことです。 実に悩ましいのは実験科学における「第一種の誤り」と「第二種の誤り」とい 精子の中の小人 (ホムンクルス) 6 私たちはまず仮説を立て す。そしてその仮説を検証す るために実験を行います。 仮 説が正しければ結果はAとな り、誤っていればBとなるよ うな計画のもと実験を立案し ます。研究者はもちろん自分

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