評論(2)
む
2J と
本居宣長
ののあはれの論
本稲
儒仏の教へには背けることも多きぞかし。そはまづ、人の情のものに感ずるこ
とには、善悪邪正さまざまある中に、理にたがへることには感ずまじきわざな
●リ
さて物語は、もののあはれを知るをむねとはしたるに、その筋に至りては
れども、情は、我ながら我が心にもまかせぬことありて、おのづから忍びがた
2空
きふしありて、感ずることあるものなり。
m2 よ
マ
2うつせみ
源氏の君の上にて言はば、空蝉の君、臓月夜の君、藤壷の中宮などに心をか
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けて、あひ給へるは、儒仏などの道にて言はんには、よに上もなき、いみじき
不義悪行なれば、ほかにいかばかりのよきことあらんにても、よき人とは言ひ
がたかるべきに、その不義悪行なるよしをば、さしも立てては言はずして、た
だそのあひだの、もののあはれの深き方を返す返す書き述べて、源氏の君をば、
むねとよき人の本として、よきことの限りをこの君の上に取り集めたる、これ
物語の大むねにして、そのよきあしきは、儒仏などの書の善悪と変はりあるけ
ちめなり
さりとて、かの類ひの不義をよしとするにはあらず。そのあしきことは、今
さら言はでもしるく、さる類ひの罪を論ずることは、おのづからその方の書ど
もの世にここらあれば、もの遠き物語を待つべきにあらず。
物語は、儒仏などのしたたかなる道のやうに、迷ひを離れて悟りに入るべき
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法にもあらず。また、国をも家をも身をも治むべき教へにもあらず。ただ世の
中の物語なるがゆゅゑに、さる筋の善悪の論は、しばらく差し置きて、さしもか
かはらず、ただもののあはれを知れる方のよきを、取り立ててよしとはしたる
なり。
この心ばへをものに例へて言はば、蓮を植ゑてめでんとする人の、濁りてき
たなくはあれども、泥水を蓄ふるがごとし。物語に不義なる恋を書けるも、そ
の濁れる泥をめでてにはあらず、もののあはれの花を咲かせん科ぞかし
(「氏物語玉の小櫛」)