が必要になってきます。難しいことです。行為の目的と行為そのものが分裂して
いけばいくほど、自分も分裂し、つらさが増していくことになるのでしょう。
それにしても、遺産相続とか、作品の創造、墓とか、記念碑とか、写真撮影や
ビデオ録画など、 生を記憶しよう、残そうという行為の一方に、カフェの準備の
ように、なされるそばから消えていく行為がある。平凡な日々の細部の積み重ね。
私たちが死ぬときも、何一つ、痕跡が残らない、
その意味で気高い行為です。
今、ようやく開店したカフェ。しばらくすれば、
人々のざわめきに満たされて、誰一人、女の子が
開店準備をしていたなんて、考えもしない。私た
ちの生は、いつもそんな容貌をしています。 そし
てここに耐えることでしか、生の次の段階は開か
れてこない。日常生活は、そんなしぶとい挑戦を、
いつも私に突きつけてきます。
権上表記できない写真、 図などです。 教科書で確認してください。