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現代文 高校生

合ってますか? 教えて欲しいです。

にどんな災難が降りかかるかも想像がつく。 そして、それらはみな、自分一人で 行うことだ。 ?「それら」とは、何を 指すか。 しかし、十分危険だが微量の放射能の存在は、人間の感覚器官には感知されな い。巨大な打ち 置から宇宙に射出されるような乗り物に生じうる事故も、 通常の意味での直観的把握を超えている。理論的なリスクの査定はできても、感 覚的には実感できない。 しかも、原子力発電所も、NASAも、一人一人は巨大 な作業のほんの一部を担っているだけであって、自分自身の判断のミスがどれほ ど最終産物の危険に貢献するのかは、これまた実感できない。 びゅう 昔から「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれているものがある。ルーレットで赤、 赤と続くと、次も赤であるような気がしてくる。 赤、赤、赤、赤だと、次は黒で あるような気がしてくる、という誤りだ。赤が出るか黒が出るかは、過去の記録 に関わりなく毎回五割である。東海村の施設もNASAも、 危ないが訳の分から し、 真の危険を顧み りが自分 も安全である WTH 36 人間にとって、確率的な事象を正確に把握し、判断を下すよりも、数回の経験 をもとに因果関係を類推して、この次も過去と似たようなことが起こると考えた ほうが、進化史上では、ずっと適応的だったにちがいない。たま二 たときの損失は、今よりもずっと小現三 人間と知性

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現代文 高校生

高一!気を見る森を見るについて質問です!なぜ人間は部分的な違いがある図形よりも、全体的な違いがある図形の方が見つけやすいのか教えてください

る傾向が強い。例えば複数の図形の中から仲間外れを探すとき、部分的な違いがある図形 よりも、全体的な違いがある図形のほうが見つけやすい。このことは、目に入るものを常 に「何か」としてラベル付けして見ようとする、人間の認知的な癖とも関係している。例 えば、虫食いの葉っぱに顔を見つけるとき。一つ一つの虫食いの穴を、ここは目、ここは 口、と顔のスキーマの要素に当てはめて、ひとまとまりとして捉える。人間が物を「何か」 として認知したり、見立てたりするときには、ゲシュタルト的な見方をしているのだ。 ⑨ 私たちは、いったん「何か」としてまとまりで認知すると、細かい部分を見落としがち だ。逆に、細かい部分にとらわれていると、全体が見えなくなる。 ⑩視点の倍率の切り替えは、かなり意識的に行う必要がある。 1 デッサンでは、物を「何か」として「認知」する前の一次的な視覚情報、すなわち「知 p 覚」を描こうとする。まとまりではなく、部分に注目するということだ。でも部分だけに 注目して描いていると、全体のプロポーションにひずみが出やすい。だからときどきキャ バスから離れて全体を確認する。 9 3スキーマ schema ここでは、認識の枠組 みのこと。もとは、指 要図式などの意。 プロポーション proportion 釣り合い 調和。 つまりデッサンのときは、部分的な見方と全体的な見方を行き来する。それも両極では なく、さまざまな倍率で形を階層的に捉える必要がある うに思う。

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現代文 高校生

この文章の問題で話の全体把握問題があり、最も適当でないものを選ぶこの問題の答えは「3段落のはじめに『一方で』とあり、2段落と3段落は対比となっている」となっているのですが、これは何故なのかがいまいち分かっていないので教えていただきたいです💦 私の予想は、「一方で」が対比のカ... 続きを読む

A ある。 ない。それは、日本を含む幾つかの 可能性を持ち始めた時代だからである。 少なくとも今日の日本の社会ほど、人々が、多様な商品を前にして何を買うかに思い悩み、どこへ遊びに出かける かに使うかを決めかねている社会は少ないだろう。町を歩いて決まって耳にするのは、「何かおもしろいことはないか。」という青年の会話であり、 書店や新聞売り場で目にするのは、服飾、旅行、趣味、テレビ番組など、あらゆる楽しみにかかわるおびただしい案内書の山である。大型の工業製 品だけについて考えても、現在、某企業が一社で生産する自動二輪車の種類は、デザインや色彩の違いをaカンジョウに入れれば、常に数百に達し ていると言われる。まして、食品や衣料の品種と商標は数えきれず、行楽地や文化施設の種類も限りなくあるから、何を着て、何を持って、どこへ 現代社会では、そうした選択を助けるはずの情報そのもの 行くかという選択肢の組み合わせは、ほとんど天文学的な数字に上るであろう。 の数が多く、ア消費者は案内書やカタログの山に埋もれて、まずその情報の選択に苦しまねばならない。 一方で、選択すべき対象の数が増えるとともに、他方では、選択しながら生きるべき自由な時間が延びて、現代人の人生はまさに迷いの機会の連 続になったと言える。X青春の猶予期と老後の余生がともに長くなって、労働による拘束時間が減ったばかりでなく、労働の時間そのものの中にす ら、自由な選択の余地が忍び込み始めている。商品の企画開発や、デザイン、宣伝、セールスといった非工場的な労働の場合、真に大きな成果をめ ざそうとすれば、決められた手続きをただ反復することは有効ではない。そういう職場に生きる一人の勤労者にとって、ある一日の午後、次の数時 間をいかに過ごすかについて規則による拘束がなく完全に彼の創意にゆだねられる機会は確実に増えつつある、と言えよう。Yけだし当然のことだ が、消費者が何を買うかについて迷いの機会を増やせば、その分だけ生産者もまた、何を、どのように作るかについて真剣に迷わねばならないので

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現代文 高校生

高1現代国語 水の東西 画像のケースにおける問題点をあげてほしいです。 お願いします🙇‍♀️

表情をうかがう文化ではない 年代の国語 東西の文化 山崎正和 「水の東西」 一 【CASE】 「東西の文化」課題プリント ○授業で読んだ「水の東西」の学習を活かして、 【CASE】のトラブルを分析しましょう。 ○ この課題は、評価課題として成績に反映されますので、必ず提出してください。 ○課題に取り組む際には、必ず以下の条 件に従って文章を作成してください。 斎藤さん一家はお父さん、お母さん、そして大学生の陽子さん三人家族である。 洋子さんの通 っている大学で、毎年いろいろな国からやってくる留学生のためのホストファミリーを募集して いるという話を聞いたお母さんの道子さんが、ぜひホストファミリーをやってみたいと言い出し たことから斎藤家の苦難は始まった。 やってきたのは、東欧のある国から来た、イベッタさんと いう女性の大学院生だった。イベッタさんは礼儀正しく、まじめでおとなしそうな学生さんで、 そのうえ日本文学を専攻しているとあって、日本語も大変上手で、 道子さんはじめ、ホストにな ることを反対していたお父さんや陽子さんまでも、これから始まる楽しい文化交流の期待に胸を 膨らませた。 ところが、そんな期待をよそに、 一週間もたたないうちから、 イベッタさんの行動をめぐりい ろいろな問題が噴出することとなってしまった。 まず最初に問題が勃発したのは、イベッタさん の歓迎パーティーの席だった。日本の文化に慣れてもらおうと、お母さんは張り切って、色とり とりの巻き寿司や煮物、茶そばなど、 日本食をたくさん用意して食卓に並べた。 ところがパーテ ィーが始まってもイベッタさんはほとんど料理に手をつけていない。調子でも悪いのかと聞いて みると、「すみません、料理がちょっと口に合いませんので」とはっきり言われてしまった。怒り 心頭のお母さんに同調するように陽子さんは「作ってくれた人のことを考えたら、我慢して食べ るものなのよ!」とイベッタさんに怒りをぶつけてしまった。 その後もせめて部屋の掃除くらいはしてあげようと気をつかったお母さんが部屋の掃除をす ると、イベッタさんからは「自分の部屋の掃除は自分でしますので」と断られ、また遅くなって 帰ってくるイベッタさんに「遅くなるときは心配だから、何時に帰るか電話してね」というと、 「私は大人です」と言い返され、お母さんは困り果ててしまった。そんなある日、陽子さんとイ ベッタさんがイベッタさんのシャワーをめぐり、大喧嘩をしてしまった。陽子さんの主張はイベ ッタさんが毎朝シャワーを浴びるためにお風呂場を独占するので、自分がジョギングに行った後 などたまに使おうとしても使えなくてずっと困っていたというのだ。 それを聞いたイベッタさん は、「お母さんが、いいですって言いました。それに、陽子さん、嫌だったら、 どうして私にもっ と早く言ってくれなかったのですか?」と反省のそぶりもない。 その様子に余計に腹が立った陽 子さんは「いつも困った嫌そうな顔をしたでしょ。顔見たらわかるじゃない、そんなこと!あな たみたいにわがままな人はみたことがないわ!」と怒りをぶちまけてしまった。その後、陽子さ んはイベッタさんと極力言葉を交わさないように、避けるようになってしまった。 そんな気まず い日が続いたある日のこと、イベッタさんから突然、「アパートに移ります」と独立宣言されてし まった斎藤さん一家は、ほっとしたような、 また、何やら腹立たしいような複雑な思いであった。 (引用:『ケースで学ぶ異文化コミュニケーション 誤解・失敗・すれ違い』) ありがた迷惑 文化の違い CS CamScanner でスキャン

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現代文 高校生

高1現代国語 水の東西 画像のケースにおける問題点をあげてほしいです。 お願いします🙇‍♀️

表情をうかがう文化ではない 年代の国語 東西の文化 山崎正和 「水の東西」 一 【CASE】 「東西の文化」課題プリント ○授業で読んだ「水の東西」の学習を活かして、 【CASE】のトラブルを分析しましょう。 ○ この課題は、評価課題として成績に反映されますので、必ず提出してください。 ○課題に取り組む際には、必ず以下の条 件に従って文章を作成してください。 斎藤さん一家はお父さん、お母さん、そして大学生の陽子さん三人家族である。 洋子さんの通 っている大学で、毎年いろいろな国からやってくる留学生のためのホストファミリーを募集して いるという話を聞いたお母さんの道子さんが、ぜひホストファミリーをやってみたいと言い出し たことから斎藤家の苦難は始まった。 やってきたのは、東欧のある国から来た、イベッタさんと いう女性の大学院生だった。イベッタさんは礼儀正しく、まじめでおとなしそうな学生さんで、 そのうえ日本文学を専攻しているとあって、日本語も大変上手で、 道子さんはじめ、ホストにな ることを反対していたお父さんや陽子さんまでも、これから始まる楽しい文化交流の期待に胸を 膨らませた。 ところが、そんな期待をよそに、 一週間もたたないうちから、 イベッタさんの行動をめぐりい ろいろな問題が噴出することとなってしまった。 まず最初に問題が勃発したのは、イベッタさん の歓迎パーティーの席だった。日本の文化に慣れてもらおうと、お母さんは張り切って、色とり とりの巻き寿司や煮物、茶そばなど、 日本食をたくさん用意して食卓に並べた。 ところがパーテ ィーが始まってもイベッタさんはほとんど料理に手をつけていない。調子でも悪いのかと聞いて みると、「すみません、料理がちょっと口に合いませんので」とはっきり言われてしまった。怒り 心頭のお母さんに同調するように陽子さんは「作ってくれた人のことを考えたら、我慢して食べ るものなのよ!」とイベッタさんに怒りをぶつけてしまった。 その後もせめて部屋の掃除くらいはしてあげようと気をつかったお母さんが部屋の掃除をす ると、イベッタさんからは「自分の部屋の掃除は自分でしますので」と断られ、また遅くなって 帰ってくるイベッタさんに「遅くなるときは心配だから、何時に帰るか電話してね」というと、 「私は大人です」と言い返され、お母さんは困り果ててしまった。そんなある日、陽子さんとイ ベッタさんがイベッタさんのシャワーをめぐり、大喧嘩をしてしまった。陽子さんの主張はイベ ッタさんが毎朝シャワーを浴びるためにお風呂場を独占するので、自分がジョギングに行った後 などたまに使おうとしても使えなくてずっと困っていたというのだ。 それを聞いたイベッタさん は、「お母さんが、いいですって言いました。それに、陽子さん、嫌だったら、 どうして私にもっ と早く言ってくれなかったのですか?」と反省のそぶりもない。 その様子に余計に腹が立った陽 子さんは「いつも困った嫌そうな顔をしたでしょ。顔見たらわかるじゃない、そんなこと!あな たみたいにわがままな人はみたことがないわ!」と怒りをぶちまけてしまった。その後、陽子さ んはイベッタさんと極力言葉を交わさないように、避けるようになってしまった。 そんな気まず い日が続いたある日のこと、イベッタさんから突然、「アパートに移ります」と独立宣言されてし まった斎藤さん一家は、ほっとしたような、 また、何やら腹立たしいような複雑な思いであった。 (引用:『ケースで学ぶ異文化コミュニケーション 誤解・失敗・すれ違い』) ありがた迷惑 文化の違い CS CamScanner でスキャン

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現代文 高校生

写真の文章って「A 普遍性の獲得 → 文脈からの逸脱」と「B 文脈からの逸脱 → 普遍性の獲得」のどちらの流れが正しいですか?

6 アメリカが生み出した消費のマニュアル化としてどうしても無視できないものがあります。言うまでもなく、 マクドナルドです。 2 マクドナルドは、簡単に言えば、フォードが開発した大量生産方式を食生活に持ち込んだと言っていいでしょ う。これはジョージ・リッツァという人が述べていることですが、マクドナルドほど見事に方法化され、マニュ アル化され、技術主義的なものによって支配された消費の場はありません。生産工程の流れ作業的管理を、食生 活という消費プロセスにまで拡大したわけです。 -3 そして、この徹底した方法化によって、マクドナルドは世界へ進出することが可能となった。世界中どこへ行っ ても同様のテンポがあり、ほぼ同様のサーヴィスが受けられ、同様の商品が出てきます。基本的なコウゾウは同 じです。そして、店に入ってからカウンターの前で注文し、商品が出てくるプロセス、店員の応対、座る椅子、 テーブル、出入り口の配置―これらが完全に管理され、マニュアル化されています。モノを食べるという消費 過程そのものを、テーラーシステム化してしまっているわけです。 4 ですから、マクドナルドがきわめてアメリカ的だと言われるのは、ハンバーガーのためというより、本来は、 ゆっくりと味を楽しみ、友人知人や家族の団欒の場であり、社交の場であったはずの食事という文化を、徹底し 技術主義的にとらえ、生産工程のように計測された効率性と画一性を重んじる、技術主義的な思考方法のもと に置いたからにほかなりません。しかも、方法化することによって、特定の場所とか文化に囚われない、一見し たところ普遍的なものをつくっていく。こういうやり方そのものがアメリカ的なのです。 5 しかし同時に、それが方法化された消費の場であることによって、マクドナルドはアメリカを超えてしまった。 それなりに世界中に散らばることが可能となる。それは、アメリカ以外のどこからも出現しえないという意味で はきわめてアメリカ特殊的であるのですが、まさにそのことによって世界化が可能となっているわけです。 これはアメリカ文明のある本質を突いていて、技術主義と方法化によって、特定の文脈に囚われない普遍性を 獲得しようとすると、それが本来置かれている場所、コンテクストを失ってしまう。マクドナルドはもはや、そ れが最初に発生した場所やコンテクストには収まらない。 その意味で、技術主義、方法化は脱文脈化をハカります。コンテクストを逸脱していく。コンテクストを逸脱 していくことによって、普遍化しようとする。脱文脈化したものは、言ってみれば、どこにでもあるものであり ながら、どこにも定着しないものです。一種の故郷喪失者と言ってもよいですね。ですから、言い換えると、ア メリカ文明が生み出した現代文明の大きな特徴はまさに故郷喪失であり、故郷喪失による普遍化なのです。故郷 喪失者であることが、同時に普遍化につながるというコウゾウになっているということなのです。

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