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作文 中学生

わからないです

次の文章を読んで後の問に答えなさい。 れるということで、「新しいもの」の意味が、つまり、同じ時間を共有すると いう意味が、変わってきたということも言えます。 N とはいえ、落語の魅力はやはりライブであり場の共有であることは間違い ありません。噺家と噺が不可分であることの魅カは、実は、録音,録画では享 受できない。噺家の肉体が高揚したり、疲れたり、持ち直したり、「師匠、こ の噺の最後まで肉体がもつのかなあ」という心配感まで含めて、ライブの魅力 噺家の存在そのものを共に楽しむことができるということが、声(魂)の文化 の醍醐味なのです。 」 文字のない時代は、知識を伝えるには0ロからロへが基本です。落語もま に、師匠が 喋ることを書き取ったりせず、そのまま体に染み込ませていきま す。文字化して固定し確定させていくものではありません。 2」方、例えば、の演劇はチームで取り組むものですから、書き取って台本 にしておかないと、演出家や芝居をする人、舞台をつくる人が共有できません 書物になったものは繰り返し読まれ世界をつっなぎ人類の遺産となれる。台本が あるから時代を超えて繰り返し上演することができるわけです。ただし、文字 化して固定することで、ある意味死んだ状態になるわけで、そこに息を吹き込 み、魂を与えていくのが演出家であり役者であるという構造が生まれます。 他方、落語の面白さは、演出も役者も小道具も、すべてを一人の人間がこ なすというところにあります。つまり文字にして外化しなくても自分の中で完一 結するというところが、面白い。落語は今も口伝の世界に生きており、落語に は、声の文化が持っていた一回限りの、喋ったら消えてしまうけれど、魂から 出てくる魅力があると言えるのではないでしようか。 そして、現代では録音、録画技術の進歩で、文字化しなくても過去を魂の 外に記録していくことが可能です。文字の歴史に比べれば、ほんの一O〇年、 個人ユースでは数十年の歴史しかありませんが、@録音·録画できるようにな ってしまった時代は、文化というもの、文化のあり方に根本的な影響を与えて SるSです。 5 録音,録画時代に何が起きたかと言えば、「声の文化」も外に記録され定 着されていくということです。一回限りの出来事が繰り返し聴けることは、人 類の歴史ではごく最近までありえなかった。文学は、書き手と書いたものが分 離できて、書いたものだけが残っていく文化でしたが、自分の身体に染み込ま せロ伝で伝えていく落語は、 家と噺が分離できない。身体と共にあることが 落語の根本的な魅力であるわけです。録音·録画時代には、過去に蓄積された すべての噺家がライバルになるということになります 6演奏家も同じですね。例えば、新進のヴァイオリニストが演奏を発表しよ うとしても、過去に蓄積されたすべてのヴァイオリニストの演奏と比較される。 今、同時代に生きている人だけでなく、過去に活躍した(と言っても、録音 録画が可能となって以降の、ですが)演奏家がすべて乗り越えていく対象にな 一ま 溶語も演奏も歌唱も、かつては一瞬で消えていたものが保存 , 再現さ (黒崎政男『哲学者クロサキの哲学超入門』による) ユース……使うことと、使用、利用 噺家……落語などのロ演を職業とする人、ここでは落語家 |線部©「ロからロへ」とあるが、これと同じ意味で用いられてい る語を本文中から二字で抜き書きしなさい。 |線部の「演劇はチームで取り組むもの」とあるが、これに対して 「落語は」に続けて十五字以内で書きなさい。 落語はどのようなものか。 問三本文中における段落の関係を説明したものとして、最も適切なものを 次のア~工から一つ選んで記号を書きなさい。 ア 第二段落の人類の遺産については、第三段落において述べられている イ 第四段落の文字の歴史については、第六段落において述べられている ウ第五段落の落語の根本的な魅力については、第七段落において述べられて 工 第六段落の「新しいもの」の意味の変化につっいては、第四段落において述 ペられている

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作文 中学生

たくさんの人の回答を希望します、 そして急ぎです((ノД`) 写真は、中学1年のとき書いた意見文です。もう中2ですが、コロナの関係で来月にリモート発表することになってしまいました。 先生が修整をいれていますが、2年生らしい文に仕上げたいです。書き直し・書き足ししたほうがいい... 続きを読む

【あたり前と平和 ] ゲーム、服、机にいす…。家、学校、お店…。周りには、たくさんのものがあり、たくさんの建物がある。そ れに、たくさんの人がいる。お母さん、お父さんなどの家族、友だちや先生、そして、自分がいる。家にいれば、 いつだってゲームができる。嫌になるくらい勉強をする。学校なら、勉強もできるし友だちにも会える。疲れる くらい遊ぶこともできる。いつでも遊べていつでも勉強できる。そんなの、いつものことだし、あたり前だろう と、みんなが言うだろう。それが日常だから、あたり前。そう思ってしまう。でも、そうではないときがあった 空空襲について学んだ。学ぶときは、興味があるとは言えなかった。 空襲」と表紙に書かれた、小説みたいな本 のだ 私は一年生の一学期の道徳の時間に、 私が苦手な歴史の勉強に少し似ている気がしたからだ。 先生が、「 を読み始めた。それを聞いていると、私の頭の中には一 七月十五日午前七時三十分。鳴り響くサイレンの音。爆弾が落ちて、わき起こる黒煙。爆弾や銃撃のひどい音。 おそろしい米軍の飛行機が、頭の上を飛ぶ。 被害があった。焼け焦げた家や人。重軽傷者は十四人。四十名の尊い命が奪われた。 当時十五歳だった男子生徒は、一週間ぶりの学校に、わくわくしながら登校している途中だった。「グラマン だ!山に隠れろ!」という声を聞き、四十分間爆撃される | 町を山から見ていたそうだ。 学校の先生の中には、生徒を防空壕やタコツボと呼ばれる穴に避難させている中で、爆弾の破片が背中に刺さ り、命を落とした方もいる。その先生の碑は|_高校の敷地内にある。先生が呼んでくれた本の中には、私と同 じくらいの年齢で、空襲の中、家族の無事を祈り続けていた人や、子どもの無事を願って空襲で焼け焦げた本別一 の町が破壊されていく映像が流れはじめた。 町上空を、四十七機の飛行機が飛んだと言われている。多くの一 空襲に関わる様々な人のエピソードがつまっていた。 の町の中を走り回った人など、 亡くなった人やその人の家族、友人を思うと、胸が痛む。もし、自分ならどうなるだろう。爆弾や銃で、自分 の思い出の場所が一瞬で失われる。家をなくしたら、家族や、友人を亡くしたら。私には全然想像ができない。 でも、もしそうなったらと想像する。悲しみ、寂しさだけではなく、怒り、悔しさなど、自分の中でどんな感」 いつも自分の周りにいる人がいなくなるなんて、信じられない。 情が渦巻くのだろうか。 自分だって、いつ死んでもおかしくないという恐怖まで感じて、とても複雑な気持ちになる。やっぱり、自分| に当てはめても、そんなわけない、なんて思ってしまうけど、もしそうなったとしたら、私の想像なんかを濫か にこえる複雑な感情になるのだろう。 でも、そんな気持ちより何より、その人達が願ったのはきっと、平和。それは私たちが今、あたりまえと感じ ている日常のことだと思う。その理由は、自分の暮らしと戦争のときの暮らしを比べるとすぐにわかる。自分た一 ちにとって、あって当然であたりまえの物が、そのときにはない。あたりまえが、そのときに覆された。 そんな風に考えていると、「そもそも、あたりまえって何だろう」と思えてくる。あたりまえって言うと、それ が普通、それがあって当然と感じる。空襲の時、普通の生活はなくなり、あって当然だったものが消えてしまっ た。あたり前は、身近で、身近じゃない。平和だって同じだ。いつ、あたり前に感じている平和がなくなるかわ」 からない。今この瞬間が、平和で、それをあたりまえのように感じていることは、幸せであり、感謝すべきこと なのだ。学校で友だちに会えること。家に帰れば家族がいること。おいしいご飯をお腹いっぱいに食べられるこ と。勉強ができること。そして、今、自分がいること。すべてに感謝しなければいけない。 悲しい過去が今につながっていることを忘れずに、これからも平和が当たり前であると感じられる日常を大切」 にしていきたい。

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