えることによって、コンピューターが「俳句の文法」を学習することが
できる、ということです。この場合の「学習」とは、俳句を作れという
命令を与えられたとき、俳句の文法にのっとった語句の並びを作ること
ができる、という意味です。 精度を上げるなら、相当によい句を生み出
すことができそうです。 では、その「よさ」の判断についても、コンピュ
ーターは学習できるでしょうか。
文法の学習の場合と同様のプロセスを考えてみます。 学ばせる作例を、
よいものと不出来なものに分けて与えるなら、 コンピューターが旬の価
値の判定法を学習することを、少なくとも期待できます。 あらかじめ作
例をよいものと悪いものに分けることは人間の仕事ですが、咎めだてす
るには及びません。 わたしたちも、学校で俳句を学んだとき、同じよう
にしています。問題は、これらの作例からコンピューターが何を抽出で
きるか、ということです。 コンピューターの学習とは、与えられた作例
の共通要素を統計的に抽出することです。俳句の文法のようにかたちや
組み合わせに関するものは、学習が可能です。 しかし、「よさ」 や 「拙さ
は、既に個々の作例においてその要素を特定することが困難です。 当
然、それを統計的に処理することはさらに難しく、不可能ではないかと
思われます。 人間がプログラムすることを考えても、文法はプログラム
できますが、「よさ」をプログラムすることは絶望的です。
それでも、AIが人間の知力を超えたという例を、わたしたちは確か
に知っています。 囲碁や将棋で、そのためにプログラムされた最先端の
AI(ロボットと言う方が分かりやすいかもしれません)が、一流の棋
士と対局し、この難敵を破ったという報道を、どなたも覚えておいでの
ことでしょう。 その際、AIの指し手がプロの棋士たちの知らないもの
だった、ということに驚かされました。この場合、人間がコンピュータ
ーに教えられる、ということになります(その手を使う棋士が現れるか
とが