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問6 下線部について、19世紀イギリスに関する記述 ① ~ ④のうち、誤っているものを1つ選べ。
3点 知識 【10】
①大政党による政党政治が定着し、ディズレーリを党首とする保守党と、 グラッドストンを党首とす
る自由党が二大政党となった
②イギリスは 1875年にエジプトが建設したスエズ運河の株を約4割購入した後、 エジプトで発生した反
乱を鎮圧し、 保護下に置くことで植民地支配を行った。
③イギリスは植民地支配を行っていたオーストラリアに対し、1848年には内政上の自治権を与えていた
が、1867年には連邦国家としての独立を認めた。
C ④ イギリスの植民地であったケープでは、1899年にイギリス人入植者とオランダ系ボーア人との間で戦
争が起こり、 イギリスが勝利した。
2 次の文章を読み、 各問に答えなさい。 24点
ウィーン会議後a フランスの反動的な王政は、七月革命によって崩壊し、 b 自由主義的な (ア)が国王
となったが、1848年の二月革命によって王政は終わり、 第二共和政が成立した。 この革命はヨーロッパ
に波及し、オーストリアやプロイセンをはじめとした諸革命のきっかけとなり、 ウィーン体制は崩壊し
た。その際革命を主導したナショナリズムは新たな市民社会の基礎となり、今日まで現代社会に影響を
与え続けている。 その後フランスではルイ=ナポレオンを皇帝とする c 第二帝政が始まるが、 普仏戦争
の敗北を経て失脚、 第三共和政に移行し、フランスの政治体制は安定期に入った。
タリアでは(イ王国が主導権を握り、統一運動が活発化し、 1861年にイタリア統一が実現した。
最終的には