第2章
章末問題 B 中世の日本
しらかわてんのう
11086年,白河天皇が幼い皇子に位をゆずって上となり、院政という新しい政治を始めました。 次の資料Iと資
料Ⅱはこの院政に関するものです。 これらを読んで、あとの問いに答えなさい。
資料 I
資料Ⅱ
せっしょう かんぱく
白河上皇のとき,院で政治が行われたので,摂政や関白はただ役職
についているだけの存在になった。 しかし, このときから古い政治
のありさまが一変したのである。
( 『神皇正統記』)
じんのうしょうとうき
白河上皇は,「賀茂川の水、サイコロの目 僧兵。これ
らが私の思い通りにならないものだ」と、いつも申され
ていたと伝えられる。
げんべいじょうすいき
(『源平盛衰記』)
□(1) 資料Iの下線部について,このようにいわれたのは,上皇の力が強くなり,天皇の力が弱まったからである。
かんたん
上皇は摂政や関白のかわりにどのような者を登用したか。 簡単に説明せよ。
ぶし
□(2) 資料 IIの白河上皇の言葉には、院政が行われていた時期に,武士が用いられた原因がふくまれている。その原
してき
因を指摘した上で,武士が中央の政治の動きにかかわるようになったいきさつを、簡単に説明せよ。