律令国家へのあゆみ 政治の移り変わ
~唐の政治制度が手本~
とう
しらぎ(シルラ)
くだら
ほろ
政治の展開・・・ 660年, 唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼ
なかのおおえのおうじ
ペクチェ
めつぼう
した。663年、中大兄皇子は滅亡した百済再興のため
えんぐん
に援軍を送ったが, 唐と新羅の連合軍に敗れ、敗退し
た (白村江の戦い)。中大兄皇子は,唐と新羅の侵攻に
はくそんこう
だざいふ
備えて,北九州に大宰府という外交や防備を担当する
やまじろ みずき
役所を置き,西日本の各地には山城や水城をつくらせ
さきもり
た。また, 大宰府には全国から集めた兵(防人)を
配備し,都を
あすか
おおつの
飛鳥から大津
みや
宮 (滋賀県) に
おおのあと
ちょうせん
大野城跡。 大野城は朝鮮
やまじろ
式の山城であった。
JOL
移して、国内の防備に努めた。
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