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単元:平安京と律令国家の変化

『律令制の崩れ』では逃亡、戸籍の偽りなどで班田収授法の実施が困難になったと書かれていました。

戸籍の偽りってどのようなことでしょうか⁇

よくわからなかったので教えて下さい🙏

回答

✨ ベストアンサー ✨

それを説明する有名な歴史史料がありますので紹介します。

三善清行の意見封事十二ヶ条というものです。

昔皇極天皇の時代、唐が新羅と共に百済を征服し、百済は日本に助けを求めた。朝鮮半島における重要なパートナー国である百済を失うのを恐れた日本は要請に応えて軍を派遣する(白村江の戦い)。軍事指揮権は天皇が持っているため、軍の指揮のために前線基地である筑紫朝倉宮に皇極天皇は下る。彼女が九州に向かう途中にとある郡で宿を取った所、その周辺は人々で非常に賑わっており、詔を出して徴兵させると、健康な男性が2万人徴兵できたので天皇はたいそうお喜びになられてこの地域を二万郷と命名された。これは後に文字をあらためて邇摩郷となった。
それから約百年後の八世紀半ばにとある人物が試しにこの邇摩郷の人口を調べてみると、健康な課税対象の男性は僅か1900人しかいないと分かった。
そして私(三善清行)が今回(911年)備中国(現在の岡山県西部)の国司に「邇摩郷の人口はいくつか」と尋ねた所、その国司は「一人も有る事無し」

と答えたのだという内容の史料です。
これは律令制の崩壊を時の天皇である醍醐天皇にお知らせするという内容なのですが、即ちこの時代は地方政治がとんでもなく衰退しているのです。
そして課税対象の男性というワードが出てきましたが、当時の税のシステム上、男性の負担がとんでもないものでした。女性は租・調・庸のうち租のみを負担すればOKでしたが、男性はその三つに加えて兵役(武器や食料代は自己負担)、仕丁(中央政府の雑用。食料は自己負担)などとてつもない負担でした。なので暫くすると、戸籍上男を女にしたり、そもそも登録しなかったり、いない人物を戸籍に登録すれば面倒くさい負担は無くせるじゃんと悪賢い連中は考え出して、戸籍を偽り始めるのです。

阿波国(現在の徳島県)の戸籍に五戸分の戸籍が残っているのですが、五戸で435人が戸籍に登録されています。その割合は男59人、女376人という歪な割合です。更にその女達の多くは100歳越えのBBAばかりというとんでもない戸籍です。

このように辛い納税に耐えかねて土地を捨てて逃げるものや、戸籍を偽って楽しようとするものが全国で急増して、もう律令制の立て直しは不可能だと分かったのが10世紀ということです。

yuika

ありがとうございます!(´▽`)

その史料難しいですね💦 男性の負担がすごいのは全国的にですか??

yuika

戸籍って自分たちで作っていいものなのですか??

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