を貰えの、
世話をする
ろう。
ずいい
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をする
なり、学資にして勉強をするなり、 どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構
わないと云った。兄にしては感心なやり方だ。何の六百円位貰わんでも困りはせん
と思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰って置いた。兄
ついで
はそれから五十円出してこれを序に清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受
しようばい
しんばし ていしやば*
けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
しょうらい
つい
おれは六百円の使用法に就て寐ながら考えた。 商買をしたって面倒くさくって旨
く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろ
う。 よしやれるとしても、今の様じゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないから
つまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強し
てやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三
年間一生懸命にやれば何か出来る。 それからどこの学校へ這入ろうと考えたが、学
間は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平御免だ。
B 新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌なものなら何をや
きらい
まつぴらごめん
うま